ミルカ

(2013年 / インド)

ローマオリンピック400m決勝。インド代表のミルカ・シンはゴール直前で振り返り、メダルを逃す。その謎の行動の裏には、幼き日のミルカに降り掛かった過酷な運命があった。

振り返るべき記憶とそうでないもの

インド、パキスタンといえば、カシミール地方をめぐる小競り合いなどが報じられることからも、仲の良くない国同士というイメージがあると思います。そうした両国が独立から現在まで対立を続けている最大の理由が、宗教間の対立でした。近現代における両国間の歴史を紐解いていくことで、その対立の深さを垣間見てみたいと思います。インド亜大陸(インド、パキスタン、バングラデシュなどがある地域)は、1757年にプラッシーの戦いでイギリスが勝利したことにより植民地化されます。イギリス向けの綿花や茶、中国向けのアヘンなどの生産を強制され、インド全体が搾取されていく中、インド国民会議に加わったマハトマ・ガンディーを中心に非暴力の抵抗運動を推進。第二次世界大戦後の1947年、インドはパキスタンと分離独立しました。

インドがインド単体としてでなく、インドとパキスタンに分かれて独立した理由。繰り返しになりますが、それこそが「宗教」です。インド亜大陸には、ヒンズー教とイスラム教の信者が共存していましたが、両者の考え方は大きく異なります。ヒンズー教は多神教で、偶像崇拝を行い、牛は神聖な動物なので牛肉を食べません。一方、イスラム教は一神教で、偶像も禁止、牛肉は食べますが、豚肉は不浄な動物だとして食べることを禁止されています。イギリスはそうした宗教観の相違に目をつけ、重要な場所はイギリスが直接統治し、ヒンズー教、イスラム教などが混在する藩王国はそのまま藩王に支配させる分割統治を行ったのです。反英運動が加熱していく中でも、ヒンズー教が中心的であったインド国民会議に対し、イスラム教徒は全インド・ムスリム連盟を結成し、自治政府の樹立運動へと展開していくようになりました。

結果、インドとパキスタンは分離独立。イギリスはインドから撤退しましたが、分割統治の成果は出せたのです。これが何を産んだか。分離したものの、ヒンズー教徒とイスラム教徒が混在している地域も多く、各地で衝突が起きたことで約100万人が亡くなったと言われています。相互理解を深めようとしたガンディーはヒンズー教過激派から反感を買い暗殺されてしまいました。カシミール地方帰属をめぐる第一印パ戦争後も、対立は根深く残り、中印国境紛争後はアメリカがインド、中国がパキスタンを援助。これがきっかけで、インドは中国に対抗するために核を保有し、パキスタンはインドに対抗するため核を保有するという、核の連鎖が起きてしまいました。現在は、首脳会談の実現などで関係改善が進んでいるとはいえ、懸案であるカシミール地方での衝突や各国内におけるテロ事件は絶えず、和平には程遠いというのが実情です。

さて、この映画の主人公ミルカ・シンですが、シク教徒でありインド陸上界のスーパースターである彼は、幼いころに印パ分離独立の余波を真っ向から受けたという過去を持っています。分離独立の際、ヒンドゥー教徒地域のイスラム教徒はイスラム教徒地域(パキスタン)へ、逆にイスラム教徒地域のヒンドゥー教徒はヒンドゥー教徒地域(インド)へ、それぞれ強制的な移動・流入による難民化を余儀なくされました。シク教徒が多く住むパンジャーブ地方では、両教徒間に数え切れないほどの衝突と暴動、虐殺が発生、さらに報復の連鎖が各地に飛び火し、一説によると死者数は100万人に達したとのことです。短期間で1000万人以上もの人口流入が生じたため、右へ左への大混乱が起きたことによる惨劇でした。これに幼いミルカも巻き込まれたのです。

ローマ五輪の400メートル走決勝で、ミルカはゴール直前で背後を振り返り金メダルを逃した。なぜそうしてしまったのかは、上述の事情により説明がついてしまうかもしれません。でも、単にトラウマが影響していたのだとしても、ローマ五輪以前から陸上競技で追われる立場になっていたミルカが、なぜそのときだけ振り返ってしまったのかの説明にはなりません。癒せない心の傷、背負っているものの大きさ。映画全編を通して、見どころはとても多いです。歴史という重たいテーマだけでなく、ひとりの人間の激しく揺さぶられる内面をも描き切った素晴らしい作品だと思います。


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