(500)日のサマー

(2009年 / アメリカ)

建築家を夢見つつ、グリーティングカード会社で働くトムは、ある日、秘書として入社してきたキュートなサマーに一目惚れしてしまう。トムは運命の恋を夢見る男の子、一方サマーは真実の愛なんて信じない女の子だった。

付き合うことと愛することは同義なのか

特定の異性と親しくなって友だち以上の関係を気づきだしたタイミングで、おそらく双方とも確認したいけれどなかなか言い出せないのが「私たち、付き合ってるの?」という質問でしょう。もちろん、どちらかが一方に対して「好きだ」と告白し「OK」を受けて始まった交際であるなら、気にすることではないはず(初期の段階での話ですが)。それでも、なんとなくというか、いつの間にか一緒にいるのが普通になった経緯だとすると、たとえ関係が順風満帆だとしても、いつかは必ず確認しなければならないことだと思います。周りからも公認されてて、誰が見てもカップルという関係なので、言わずもがなだと客観的に思ってしまうのですが、当人たちにとっては結構度胸のいるステップ。というのも、一方は本気で相手を愛していたとしても、相手のほうはただの仲の良い友だちとしか見ていないケースというのがよくあります。男女間の親密な関係イコール恋愛関係と思い込んでいるパターンで、実際相手はもう一方を異性の親友と見ていただけというのがそうです。

付き合っているかの確認を焦るのは主に男性のほうかと思います。男性は特に、異性に対して肉体関係を求める傾向が強く、女性は付き合っていることを聞かれることはセックスの承諾を求められていると感じるといいます。したがって、女性がどれだけ相手の男性を愛していたとしても、肉体関係を結ぶことにまだ抵抗を感じているうちは、すんなり「YES」と答えられないようです。逆に、男性が付き合っているかいないかを曖昧にする場合も多く、その理由として単に優柔不断であることのほか、実は女性のことをそれほど好きではない、彼女や妻がすでにいる、他の女性とも遊びたい、女性を満足させるだけの金銭的・時間的余裕がないなどがあげられます。こうしたことがすべてのカップルに当てはまるわけではありませんが、女性がヒステリックになるほど、男性に付き合ってるかどうかの確認をしなければならない場合は、双方幸せになれる確率は低くなるようです。

この映画のケースでいうと、主人公のトムはサマーに本気で恋をしていた一方で、恋愛に関して真面目すぎたため、サマーの考え方や行動を理解することができず、事あるごとに苛立ちを爆発させる事になったんだと思います。理想主義者だと言ってしまえばそれまでですが、恋愛経験の乏しい人ほど恋愛に対して生真面目に、そして夢や期待をかけすぎる傾向にあるので、相手の不可解な言動がどうしても受け入れられない。たぶん、トムはサマーとの幸せな恋愛がずっと続き、いつかは結婚に至るということを頭のなかで描いていて、そうなることを疑わなかったと思います。サマーとしては決して遊びでトムと付き合っていたわけではなく、恋愛という概念を信じていなかっただけで、トムのことはパートナーとして信頼していた。でも、トムにとってそれは恋愛ではないので、サマーを捕まえきるまで、半ば狂乱的にのめり込み続けていたということでしょう。

トムは学んだのでしょうか。恋愛など理想通りに進まないということを。今後彼が新しい相手といい感じになったとしても、彼が「俺たち、付き合ってるんだよな?」という相手に負担を感じさせる意思確認から卒業できないかぎり、恋愛におけるハッピーエンドはいつもでたっても迎えられないのでしょう。僕も、サマーみたいな女の子は理解できないクチですが。


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