A.I.

(2001年 / アメリカ)

時は未来。不治の病に侵された息子をもつ夫妻は、人工知能をもつ少年型ロボットのデヴィッドを家に迎えるが、やがて息子が奇跡的に蘇生したことから、デヴィッドは家を出されてしまう…。

幼児期の愛情体験を覚えていますか

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「愛情遮断症候群」という病気があります。愛情を感じることができない環境で育った子供がかかってしまう病気のことで、睡眠時に分泌されるべき成長ホルモンが分泌されず、発達や成長に遅延が生じてしまいます。言語の遅れや緩慢な動作、乏しい表情、知的発達の遅延、睡眠障害といった症状が生じ、十分な栄養も与えられていない場合も多いため栄養失調状態にあることも少なくないとのことです。この原因はもちろん親の言動にあります。子供に対して愛情を注ぐのが親の使命であるにも関わらず、無関心、放任、冷たい対応、体罰、虐待などをもって子供に接することがパターンとしては多いです。また、親自身が鬱病などの精神疾患であったり薬物中毒や知的障害、子供時代に親から十分な愛情を受けられなかった場合にも起こり得ることでもあります。

こうした症状の前段階として、子供は愛情不足を補うために何をするか。甘えたがったり構ってもらいたかったり困らせたり、とにかく親の関心を引こうとします。ですが、親がそうしたサインを見過ごし続けていくと、子供は愛情不足によるストレスを蓄積させていきます。その結果、爪をかじる、髪の毛を抜くなど無意識の自傷行為が目につくようになったり、悲しいときや嬉しいときにも無表情でいるといった感情の劣化が著しくなったりします。人格形成にもっとも重要な時期は3歳までと言われていますが、それまでに「自分は愛されている」「自分は必要な人間だ」という深い自己肯定感や肯定的世界観が根付いているかで、その後の人生が決定づけられると言っても過言ではありません。愛情不足の子供が長じて学校に通うようになると、不登校や飲酒、喫煙、万引き、いじめの加害者になる、親や教師に暴力を振るうといった問題児になる可能性が非常に高いのです。

愛情遮断症候群を治療する、あるいは愛情不足が原因で非行に走った子供を更生させるためにはどうしたらよいのか。直接的な解決法は、親が愛情を注ぐ方法しかありません(間接的には、愛情豊かな代理人が世話を替わったり施設に預けるなどが考えられませんがここでは考えません)。ですが、ただやみくもに、子供の欲しがるオモチャを買ってあげたり食べたい料理を作ってあげたりすることで解決できるほど容易い問題ではありません。子供としては欲しいオモチャを与えられたら嬉しいのは当たり前ですが、そのすぐ後に親がそっぽを抜いてしまい構ってもらえなくなったらどうでしょうか。子供は寂しいと感じたり、そのオモチャで遊ぶ気力すら失くしてしまうでしょう。大切なのは、子供の存在を認め、子供の気持ちに寄り添い、子供が安心できる環境を整えてあげることなのです。

さて、この映画を観て感動できる人は、愛情豊かな親のもとで育った、あるいは親からのネグレクトからとは無縁な子供時代を送った人ではないでしょうか。主人公のデイビッドは「愛」を感じるロボットとして開発され、一旦は里子に出された家庭で愛情を受けながら生活しますが、不治の病から回復した実子が戻ってきたことで状況が一変してしまいます。デイビッドは母のモニカにより森の中に置き去りにされたことで、本当の人間になるための旅を始めます。自分を捨てたモニカに自分のすべてを受け入れてもらうため、ロボットが人間になるという、いくらSF映画でもかなえられるはずがない望みを抱いて。やはり人間は男女問わずどんなに年を重ねても母親という存在は大きいもので、慈愛と安らぎの象徴であり続けます。その母親を求める旅がどんなに困難で不可能に近いかに関わらず、自分がまだ赤ん坊の頃に感じた母の温かさを思い出しながら自らの姿をデイビッドに重ね合わせるのです。泣いた、感動したという人は、僕は幸せな人だと思うし、羨ましいと感じます。

特に何も感じることもなく観終わった僕はいったい何者なのだろうと考えてしまいます。ここまでの文脈からすると、親から愛情をもらわずに育った、愛情遮断症候群の末路なのでしょうか。調べてみると、愛情不足のまま育った大人というのは、ありのままの自分を受け入れることができず、精神的に不安定な状態のまま育つことになるため、自己評価が低い性格になりがちだということです。自己評価が低い、つまり自信がないということであればたしかにその通りです。それも、他人からの評価や見られ方を過剰なほどに気にする自信のなさです。自分のことを好きになるなんて絶対にできません。なぜこうなったかの直因を探るには、僕の生い立ちをたどっていき、場合によっては親に問い詰める必要もあるでしょう。でも、僕はもう子供ではありません。大人になった以上、大人の立場としてのアプローチで、幼児の頃から続く愛情不足を解消していかないといけません。その方法を探るためにも、僕はデイビッドのような暗中模索の旅を続けないといけないのでしょうか。

僕は、この映画を心から感動できるよう生まれ変わりたいのか、それともこのままでいたいと思うのか、いまはまだよくわかりません。


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