さよなら子供たち

(1987年 / フランス)

1944年1月。休暇から寄宿舎へと戻ったジュリアンのクラスに、ジャンという転入生がやってくる。成績優秀なジャンはなかなか級友たちと馴染もうとしなかったが、読書という趣味を通して、次第にジュリアンに心を開きはじめる。そんなある日、好奇心からジャンのロッカーを盗み見たジュリアンは、ジャンの秘密を知ってしまう……。

友情は迫害の歴史を超える

この映画は第二次大戦中のユダヤ人迫害をテーマに描いた作品で、罪のない無邪気な子供たちに突きつけられた戦争の現実を描いた作品として高く評価されています。ナチス・ドイツによるユダヤ人に対する残酷な仕打ちを描いた映画は結構あるのですが、この映画に関しては戦争や拷問などの描写はなく、ただユダヤ人だからという理由で、友情が芽生えつつあった新入生が連行されていくという様が描かれています。ではなぜユダヤ人は迫害され続けているのでしょうか。その理由を知るには紀元前にまで歴史の針を戻さなければなりません。

まず、歴史上、最初に確認された迫害は紀元前13世紀。エジプト新王国から度重なる差別と迫害を受け続けたユダヤ人は、預言者モーセの導きによりエジプトを脱出(出エジプト)。その後、ヨルダン川西岸のイェリコを征服しイスラエル王国を建国、ダビデ王およびソロモン王の頃に最盛期を迎えます。しかし、ソロモン王の死後、王国は南北に分裂し、北イスラエル王国はアッシリアに、南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされてしまいます。このとき、ユダ王国の人々は強制的にバビロンに移住させられ(バビロン捕囚)、多数のユダヤ人が虐殺されたのです。その後、新バビロニアはアケメネス朝ペルシャに滅ぼされ、ユダヤ人はエルサレムに帰還することが許されるのですが、この間の迫害と移住によりユダヤ人はヨーロッパを中心とする各地に離散(ディアスポラ)することとなっていたのです。

特にユダヤ人が多く住みついたのがポーランド、ソ連、ハンガリー、ルーマニアを含む東欧でした。彼らはこの地で、ドイツ語とヘブライ語を掛け合わせたイディッシュ語を話したり、伝統的なユダヤ風生活様式を踏襲するなど、独特の文化を保ちながら生活していたといいます。一方、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギーなどの西欧では、ユダヤ人の人口はずっと少なく、独自の文化を育むことはあまりなく、現地人に溶け込む形でほぼ一体化していたとのことです。

これがおおよそのユダヤ人迫害の歴史ですが、では本題の「なぜユダヤ人は迫害されるのか」を考察したみたいと思います。考察、などと偉そうなことを言ってしまいましたが、これには諸説あり決定的な原因を見出すことは難しいのですが、よく言われていることだけ掻い摘んで解説します。まず、ローマ帝国皇帝が、イエス・キリストを殺したユダヤ人はキリスト教の敵であるとしたことがひとつ。当初社会の底辺の象徴だった金融業で財を成し力をつけたユダヤ人が目の上のたんこぶになったことがひとつ。ナチスのアーリア人至上主義に箔をつけるため目障りなユダヤ人を貶めることで相対的な地位向上を図ったことがひとつ。ほかにもいくつかあるようですが、もっとも信憑性がありそうなのは、ユダヤ人が成した国際金融資本が各国の政治を陰で動かしていることから発する激しい苛立ちかもしれません。

とにかく、寄宿舎で共に生活をしていたジュリアンは、転入生のジャンと共通の趣味を通じて次第に友誼を重ねていき、思春期らしい友情を育んでいきます。しかし、ジャンはユダヤ人だった。ある日、寄宿舎でユダヤ人を匿っていたとして校長が逮捕され、ジャンをはじめとする他のユダヤ人も連行されていってしまいました。彼らは互いに「Au revoir(オヴォワー:じゃあまた)」と挨拶しながら永遠の別れを告げ合いました。

戦場を描かずとも戦争の悲劇を伝える秀作だと感じましたが、僕が個人的に印象的だったのは、ジャンがジュリアンの家族と一緒にレストランで食事をしていたシーン。突然、親ナチスのフランス人憲兵がレストランに入ってきて、ユダヤ人客に出て行くよう迫りました。逆らえば自分も連行されてしまう恐怖の中、自身もユダヤ人であるジャンが彼らに「売国奴!」と吐き捨てたのです。悪い言い方をすれば諸国に宿借りしながら生活をしているユダヤ人はその土地にアイデンティティが深いはずがないわけですが、ジャンは道義的精神からか真の愛国的態度からか、同胞でありながら敵方についたフランス人を思い切り貶した。ユダヤ人が迫害されている現実を肌身で知りながら、ジャンは人間としての尊厳を失わなかったのです。

ジャンがジュリアンとの別れ際に「Au revoir」と言ったのは死を覚悟してのことでなく(実際はアウシュヴィッツで殺されるとのナレーションが入りますが)、ジュリアンを真の友人だと伝えたかったからだったようにしか思えません。お前のためなら死ねる、という劇画チックなメッセージでは決してありませんが、こういう百の言葉を要せずともたったひと言で分かり合える間柄こそ親友と呼べるのではないでしょうか。ラストは胸に迫るものがありました。


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