その土曜日、7時58分

(2007年 / アメリカ)

一見、誰もがうらやむ優雅な暮らしをしていた会計士のアンディは、離婚し娘の養育費もまともに払えない弟ハンクに禁断の企てを持ちかける。それは、実の両親が営む宝石店への強盗計画だった。その土曜日、7時58分。最悪の誤算を引き金に、次々にあらわになる家族の真実。そして、急速に追い詰められていく2人の運命は…。

引っ込みがつかなくなった男たちの末路

「引っ込みがつかない」という言葉があります。やりかけた以上やめるわけにはいかない、行きがかり上途中で身を引くわけにはいかないといった意味ですが、もともとは舞台用語だそうで、役者が舞台から退場する(引っ込む)場面がうまくいかない(歌舞伎だったら見得を切れない)ことから来ているとのこと。その類義語として「収まりがつかない」「振り上げた拳のやり場に困る」「格好がつかない」などが挙げられることから、ニュアンス的にはマイナスであり、そういった状態になっている人の心情的としては「やけになっている」「自暴自棄になっている」「捨て鉢になっている」「悲観的になっている」など、頭に血が上って冷静な判断力を失ってしまっている状態と考えて間違いなさそうです。この心情の背景にあるのはメンツや体裁であり、世間体というように人様の視線を気にすることとは反対に、たとえ常識とはかけ離れたことであっても自分がこれと決めたことを貫徹しようとする意地のようなものと思えばわかりやすいかもしれません。いつかは馬脚をあらわして恥をかくのはわかっているのに、その場の体面を保つためだけに意地を押し通す。男性なら一度ならず心当たりあるかと思います。

この映画は、まさにそんな「引っ込みがつかなくなった」兄弟の物語です。アンディとハンクの兄弟はある日強盗を企みます。金銭問題で後がなくなったハンクを救済しようとアンディが立てた計画は、実の親が経営する宝石店から金品を奪うというもの。商品には保険がかけられており、また拳銃を使わないので店番をしている女性(実の母親は非番だと高をくくっていた)が傷つくことはないため、渋るハンクを絶対に確実だからと諭して行動を促すアンディ。そして、決行当日、予期せぬ出来事が起きてしまいます。ハンクは犯人役を別の男に依頼したのですが、その彼は拳銃を持っていて、しかも店にいたのは母親だった。結局、銃の撃ち合いとなり2人は死亡。計画倒れに終わって金を得られなかっただけでなく、本来想定していなかった母親と犯人役の男の死も発生してしまった。母の死を悔やんでも悔やみきれず、また犯人役が死んでしまったために面倒なトラブルに巻き込まれていってしまうのです。

アンディの計画に乗ってしまったことで「引っ込みがつかな」くなり、店にいたのが実の母親だったのに「引っ込みがつかな」くなり、2人とも死んでしまい金を得られなかったことで「引っ込みがつかな」くなり、事情を知らない父親や(アンディの)妻に対しても「引っ込みがつかな」くなってしまった。いや、実はそれだけでなく、麻薬の売人とつるんでいたアンディも、アンディの妻と不倫をしていたハンクも、「引っ込みがつかな」くなってしまった。そして、さらには、だんだんと事情を知り始めた父親も「引っ込みがつかな」くなってしまった。観ている側としては「あ~ぁ」といった気持ちにさせられてしまうのですが、彼らの焦りが手に取るように理解できてしまうからストーリーに引き込まれてしまいます。いったいどこで手を引いていればこうならずに済んだのか。でも、それができないからこうなってしまったのです。お金が原因でこうなったというのは簡単ですが、男のプライドというか美学というか、それには「引っ込みがつかなくなっても引っ込めない」ことも含まれていることを僕自身わかるだけに、何とも言えず観ていて痛々しかったです。


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