ブラス!

(1996年 / イギリス)

鉱山閉鎖に揺れ動くイングランド北部の小さな街グリムリー。音楽に全情熱を注ぐリーダーで指揮者のダニーは、炭坑で働く男たちのブラスバンドを全英選手権に出場するつもりだった。しかし失業の恐怖に脅かされたメンバーたちはダニーのように熱心には取り組めない。

誇りは時代の流れに打ち勝てるのか

エネルギー革命に伴い、炭鉱が次々と閉山していくという事態はなにもイギリスだけに限らず世界的な現象であり、言うまでもなく日本も同じです。殊に日本で取れる石炭は質が悪く、また地中深くまで掘り進めないと採掘できないのでコストが高くつくという事情があり、戦争では戦艦用の石炭を安くて高品質な外国産に求めていたほど。なお、石炭を掘る手段として2種類あり、石炭のあるところまで延々と穴を掘っていく坑道堀りと、地表からすり鉢状に掘っていく露天掘りがあります。日本の鉱山のほとんどが前者で、オーストラリアなどでは後者が主流。当然のことながらコストと危険性が高いのが前者で、外国産のほうがローコスト・ハイクオリティ、かつ炭鉱での事故が絶えず莫大な補償費用を負担しなければならない日本の鉱山のほとんどが閉山していったのも、無理もない話ということになります。現在日本で稼働している石炭火力発電所で使用する石炭も外国産であり、国内の電気の27%を占めているとのこと。ちなみに、中国では79%、アメリカでは43%とのことです(2011年調べ)。

木から木炭、木炭から石炭、そして石炭から石油あるいは天然ガス。エネルギー革命はこうしたステップを踏みつつ現代も進行しています。シェールガスやメタンハイドレートなど、新しいエネルギー源の登場もありますが、やはり依然としてエネルギーの王冠は石油が戴いていて、交通機関や暖房用、火力発電などの燃料として、また石油化学製品の原料として、世界における石油の依存度は他と比べて圧倒的です。石炭から石油へとシフトした日本も、もともと石油依存国家でしたが、昨今の原発停止により、さらに石油火力発電の比重が高まり(老朽化した発電所までもフル稼働する始末)、その輸入元である中東には足元を見られふっかけられています。3.11以降、国内の原発を止めたことで電力の供給が不安定になり、また円安により負担も増える一方(原油安がせめてもの救い)。ロシアからパイプラインを通した天然ガス供給、メタンハイドレートの早期実用化、アメリカからシェールガスの輸入など石油依存を打破するプランを構築し、エネルギー安全保障を安定化させることが政府には求められています。

ちょっと話がずっと先へと伸びてしまいましたが、要するに、この映画は、エネルギーが移り変わる、ちょうどその過渡期に巻き込まれた人たちの物語です。資本主義の国である以上、企業は利益を確保して存続を図っていかねばならず、採算の取れない部署は売るか切り捨てるしかありません。売るにしても欲している企業があればの話で、時代の流れに取り残されたらそれまでです。いくら従業員が文句を言っても退職金という名の手切れ金を渡されて放り出されるのがオチです。無情だ、冷酷だと非難したところで、グローバル経済を突っ走る企業はそれを「自己責任」「怠慢」という言葉で片付けて自己正当化するのです。

あまりこうは考えたくありませんが、時代の流れを感得できなかった人が落伍するというのは、ある意味自然の摂理と言えるのかもしれません。僕が小さい頃は、鉛筆削り機が普及していたので親の世代からは今時の子はナイフで鉛筆を削ることができないと言われました。そして、僕が大人になった頃には、僕より若い世代の人たちに対して、携帯電話やプッシュ式の電話に慣れた今時の子は黒電話(ダイヤル式の電話)を知らないと言います。そして、近い将来、新しい革新的携帯デバイスが登場し普及すると、僕より若い世代がそのまたずっと若い世代に、今時の子はスマホでメールが打てないなどと言うかもしれません。時代とともに技術は革新し生活様式はどんどん一変していきます。それを完全とは言わないまでもある程度キャッチアップできていないと、どんどん取り残されていきます。いまはインターネットを使えないと仕事にならないのが常識ですが、いまから20年ほど前にそんなことが考えられていたでしょうか。それと同じことがこの先、起きていくのです。

この映画の炭鉱夫たちにとってブラスバンドは誇りでした。しかし、時代が移り変わり炭鉱が閉山の憂き目に遭うと、彼らは仕事と失うと同時にブラスバンドも手放さなければならないという状況に追い込まれます。職を失ってもブラスバンドは趣味で続ければいいじゃないかという指摘はおかしいです。そもそも生活が確保できてないことには趣味も何も続けられないし、時代の落伍者の烙印を押された人が趣味を楽しめるほど気分的に大らかでいられるとは思えません。では、炭鉱夫一筋で生きてきた人たちになんと言えばいいのかと問われても、僕には答えが見つかりません。こんな場合のために政府があり社会保障があるのではないかと言うほかありません。でも、いま自分が就いている職業がいつまで時代の要請に応え続けられるのか、いま自分が持っているスキルがいつまで社会に通用するのかをつねに頭の中に置き、時代の流れと照らし合わせながら自らの身の振り方を考えるしたたかさを身に付けるのがいちばん賢いのかもしれません。僕はいまIT業界にいますが、これだって永遠に存在し続ける業界とは限らないのですから。


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