バッファロー’66

(1998年 / アメリカ)

5年ぶりに刑務所を出所し、故郷に帰ることになったビリー。母親に妻を連れて帰るとうそぶいた彼は、通りすがりの女・レイラを拉致し、妻のふりをするよう脅迫する。

誰かのために映画はある

限りなく男性の視点で描かれた映画だと感じました。男性目線というより、男性の願望をそのまま映像化した作品と言っていいと思います。その願望とはつまり「ガールハント」です。気に入った女の子にイチかバチかのアタックをしてダンスパーティーに誘うというのが、アメリカ映画でよく描かれる青年男子のガールハントの典型例で、これはこれで健全だと言っていいでしょう。プロム(卒業パーティー)に出席するのに相手の女の子を見つけられなかった男子が一生の不覚のように意気消沈するのを見ると、アメリカ文化の中で「男が女を誘う」ことは、ナンパの要素が強調されがちな日本以上に一般的かつ命がけなことなんだと感じられます。

では、男が女を誘ってモノにすることが男の普遍的な願望だとすれば、その手段としてどのような経緯を踏んでもよいものなのでしょうか。そんなことはないはず。そもそも、きちんと自己主張をする欧米人は嫌ならはっきりと嫌と言うし、言いづらかったとしても遠回しにそれとなく断ってきます(体験済み)。要するに、男があの手この手を使ってこようと、女はその手には乗らない感受性、というか防衛本能があるからです。これはもちろん日本人も共通ですが、その場の雰囲気に流されてしまう傾向の強い日本人に比べ、度合いが違います。なぜなら、無理やり車に連れ込もうとすると、日本人は泣き寝入りするケースが多いですが、欧米では即「I’ll sue you!(訴えてやる)」ですから。

ですが、欧米の恋愛模様に、日本にあるはずのステップがない、もしくは重要視されていないことがあるとのことです。それが「告白」。日本人だったら好きな子に交際を申し込む際「付き合ってください!」と頭を下げますが、欧米ではそうした傾向は一般的ではなく、誘われてOKして何度か行動を共にして互いに「この人となら将来を考えてもいいな」という段階になって初めて交際していることを意識するとのこと。もちろん、欧米人が告白をしないということはないのですが、やはり告白とは形式を重んじる日本人ならではもので、直感的・肉感的なセンスを多分に持ち合わせた民族とは違って面白いなと感じました。

とはいえ、相手を誘拐してまで自分の伴侶にしようなどという考えがご法度なのは万国共通です。歴史において、特に遊牧民族ですが、征服した相手方の婦女子を自分のものにするというやり方がありましたが、現代においては立派な人権侵害です(一部守っていない国がありますが)。なので、勝手に女を拉致してきて女房のふりをしろなんて言って、そのまま恋に落ちてしまうなんてのは、完全に男の、それも負け組の男の妄想に過ぎません。中には、奪われたい願望を持つ女もいることにはいますが、それはあくまでもロマンチックな雰囲気があってのことであるため、こっちの勝手な解釈で犯罪行為を正当化してはいけません。

でも、面白かったです。僕も一度はこういうふうに行きずりで女と親密になって恋に落ちるなんていう、映画みたいな体験をしてみたいなと、憧れに近い感情を抱いてしまいました。ということは、僕も妄想の塊であり、その妄想を描いたのがこの映画なのですね。なるほど、だから僕は映画を観ることをやめられないのです。


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