バーレスク

(2010年 / アメリカ)

バーレスク・ラウンジ、それはセクシーなダンサーたちがゴージャスなショーを繰り広げる大人のためのエンタテインメントクラブ。アリは歌手になる夢を追いかけて片田舎からロサンゼルスを目指し、バーレスクでアルバイトを始める。

すべての歌手がアーティストたりうるのか

バーレスク

音楽番組などで歌手やバンドのことを指す時、「アーティスト」という言い方をするのをよく耳にします。アーティスト、つまり芸術家のことですが、何か違和感を感じるのは僕だけでしょうか。たしかに音楽はアート(芸術)の一形態であって、それを形作るボーカリスト、ギタリスト、ベーシスト、ドラマー、キーボードプレイヤー、ディスクジョッキーなどのことをアーティストと呼ぶのは理屈の上では間違っていないのかもしれません。それに、芸術という言葉の原義が「何かを表現し、それを人に伝えて感動させる行為」のことであるので、創造した歌詞とメロディーの組み合わせで誰かひとりでも共感させることができれば、その時点でアーティストと名乗りうるという言い方もできます。しかし、何かが引っかかります。アーティストとはそもそも広範囲の芸術一般を生業とするすべての人が対象になるのに対し、音楽に関しては「ミュージシャン」というピンポイントで言い表す呼称があったはずだからです。

音楽をやっている人がミュージシャンなのは字句通りでまったく問題ないのですが、そこから敷衍してアーティストと呼ばれることに僕が違和感を持つのは、音楽をやっている当人が芸術活動をしているという意識を持ってやっているのか疑問に思うことが多々あることによります。その典型例が、アイドルと呼ばれる存在です。彼ら(彼女ら)は甘いマスクを武器に、メディアを通して知名度と親近感を向上させて大量のファンを獲得し、ドラマDVDや音楽CDなどの固定した販路を確保する商業的存在という側面が強い。それゆえ、たとえ個々人の芸術家的志向が高かったとしても、どうしても僕も目には「アーティスト」とは映らず、時にはミュージシャン、時には俳優(女優)、時には……といった、便利屋的なマルチタレントに思えてならないわけです。

これは僕個人の意見に過ぎませんが、ミュージシャン、つまり音楽を生業にしている人でアーティストと呼びうるのは、当然音楽一本で活動している人またはグループ(皮肉な言い方をすれば本格派ミュージシャン)、交響楽団の指揮者ならびに奏者、オペラなどの舞台歌手、伝統楽器奏者などが当てはまるのであって、単体で歌や演奏で勝負できないアイドルにはアーティストと名乗ってほしくない。もし、それなりに歌が歌えて楽器が演奏できるだけでアーティストになりうるのであれば、インディーズで活動しているバンドや週末ミュージシャンのおじさんたちのほうがスキルは圧倒的に上だし、音楽家としての誇りも持っている。プロ、ノンプロに関わらず、彼らこそアーティストと名乗りうるのではないかと思ったりしてしまいます。

さて、この映画ですが、観た感想を正直に言うと、いくつかの歌を切り貼りしてストーリーを絡ませたパッチワーク的な作品に思えてなりませんでした。シェールとアギレラの歌唱力は素晴らしいのはわかるのですが、映画として最初から最後まで観ると実に自己都合的な内容で共感性に乏しく、だったら早送りして歌のパートだけ観ればいいのではと思ってしまいます。そもそも主人公のアリが歌手になる夢を抱えて田舎町からロスにやって来て、場末のクラブ・バーレスクで「私は歌いたいの!」と駄々をこねて採用され(もちろん彼女自身の歌唱力とライバルの不手際もあり)、トントン拍子でトップ歌手へと上り詰める。そして、イケメンバーテンダーと同棲しそのままハッピーエンド。あぁ、これは歌ありきでストーリーは後付けなんだなと感づいた時点でかなり冷めました。

ただ、そうはいっても、ミュージックビデオとしての価値がある映画だとは思います(皮肉ではないです)。シェールとアギレラはそのへんのえせミュージシャンではなく、本格的アーティストであるので彼女らの魂こもった歌を聴くだけでも一見の価値はあります。そうした彼女らの共演をアーティスティックに長編ミュージックビデオ化した作品という視点に立てば、僕はこの映画に最高の評価を与えたいと思います。


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