デジャヴ

(2006年 / アメリカ)

543名もの犠牲者を出した、凄惨なフェリー爆破事件。捜査官ダグは、手がかりを握る一人の女性の遺体を見た瞬間、強烈な“デジャヴ”に襲われた―「私は、彼女を知っている・・・」。

生理現象で暴露される自分自身

実際は経験したことないのにどこかで経験したと感じてしまう「デジャヴ」という現象は、特別な心理状態や限界環境にあるなしに関わらず誰もが体験したことのある、ごく身近な現象と言えると思います。ふと「あれ、なんか前にも同じことあったような」と感じる瞬間というのは、ちょっとした霊的体験にも似た焦燥感や不安に駆られるものですが、だいたいのところ深く考えず「ま、いいか」で済まして忘れてしまうもの。痛みや体の不調が伴なうことはないので、勘違いだったり思い過ごしだと処理して放っておいたほうが無害だと自然と判断するからだと考えます。

このデジャヴが起こる原因は諸説あるようですが、科学的見地では脳の誤作動という考え方が有力とのこと。脳の中で情報を司る海馬という部位に、とある情報がインプットされたあとに情報の錯誤があり、再度海馬から照会してしまうためにデジャヴが起きると説明されています。これはもちろん確定された理論ではありません。とにかく、体験が先にあって記憶が生まれるという原則がひっくり返って、記憶が先にあって体験が生じるという現象に戸惑わない人はいないわけで、予知能力だとか異能の発現だとかいったオカルトチックな発想が生まれてくるのは仕方のないことなのかもしれません。

この映画はまさにそういった奇異に思える現象を扱った作品。500人以上の被害者を出したフェリー爆破事件の犯人を追うというストーリーなのですが、単に主人公が得たデジャヴを既視的な手がかりとして利用するのではなく、それを観客とも共有しているのが凄いところです。どういうことかというと、主人公はデジャヴの前提となる事件の記憶を持っておらず、そのためハイテクタイムマシン(的なもの)を使って被害者の事件発生前の行動を監視しながら記憶を植え付けていくのです。記憶を得るタイミングの時系列が前後するため、観ている側としては頭が混乱してきそうになるのですが、次第に「あ、これ見たぞ」となり、いわば主人公と一緒に人工的なデジャヴに浸れるというわけです。

僕もしょっちゅうデジャヴに襲われます。駅まで歩く道すがら、自販機にコインを入れてボタンを押す瞬間、スーパーで買物をしているとき、本屋で立ち読みをしているときなど。そのたびに「あ、前にも同じことあったな」という感覚になるのですが、そのたびに悲しい思いにもなります。つまり、僕が言うデジャヴというのは、毎日決まった行動のさなかに起きるものであり、それは単なる内容の似通った金太郎飴のようなルーティーンの一片を思い返しただけでしかないのです。厳密にはデジャヴではなく、「お前また同じことしてんじゃん。バリエーションってもんがないんだな」という警告でしょうか。僕はそのたびに自分を変えなきゃと思うのです。


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