コッホ先生と僕らの革命

(2011年 / ドイツ)

1874年、帝政ドイツのブラウンシュヴァイクに、若き英語教師コンラート・コッホが馬車に揺られ、4年ぶりに母校に帰ってきた。コッホを待っていたのは、生徒たちの偏見や意欲のない態度、階級の違いに起因するいじめだった。英語に全く関心を示さず、学ぶ意欲のない生徒たちを見て、コッホは生徒たちにサッカーを教えてゆく。

ドイツサッカーが守り続けているもの

コッホ先生と僕らの革命

サッカー日本代表がいわゆる「ドーハの悲劇」で本戦出場を逃した、1994年のアメリカワールドカップ。日本代表が出場できなかった悔しさと無念は開幕と同時にすっかり忘れ、僕はJリーグやアジア地区予選で見ることのなかった世界レベルの選手のプレーに完全に魅了されてしまっていました。ロマーリオ、ドゥンガ、ロベルト・カルロス、ベベット、ロベルト・バッジョ、バティストゥータ、ベルカンプ、ダービッツ、ハジ、ストイチコフなど、挙げればきりがないほどスーパースターが次から次へと登場し、そのころ海外サッカーに目覚めたばかりの僕は、そんな彼らの名前と顔、国籍、プレースタイルを胸を躍らせながら覚えようとしていたものです。おそらく、地上波で放送したいた試合はほとんど観戦したのではないでしょうか。ブラジルやイタリアなどの強豪国だけでなく、いやむしろルーマニアやブルガリアなどの中堅国(比較的)の試合内容こそ面白いことに気づき、彼らが躍進する様を贔屓の相撲力士を応援するがごとく手に汗握りながらテレビの前にかじりついていたことをいまでもよく覚えています。結果は、R・バッジョの伝説のPK失敗によりブラジルの優勝で幕を閉じましたが、終了後も僕のワールドカップ熱は収まらず、帰宅途中の本屋で特集ムックを長時間立ち読みして興奮を思い起こして悦に入っていたほど。サッカーは面白い。それをまさまざと思い知らされた大会だったと思います。

それでも、あまり関心を持てなかったチームがいくつかあり、ドイツもそのうちのひとつでした。2014年のブラジルワールドカップで優勝した最近でこそ、そのプレースタイルが俄然注目を浴びていますが、アメリカ大会の頃はもちろん、その前後とも、どこかパッとしないチームだったように思います。僕のサッカー好きの知り合いによれば「(どんな大会でも決勝トーナメントに)なんかいる」、明石家さんま氏の言葉を借りると「弱そうで強い」(実際、ドイツ代表はほとんどの大会でベスト8以上まで進出しています)。たしかにそんな感じでした。選手もクリンスマンとマテウスしか覚えていませんし、そもそも試合を観るのは途中で放棄してしまったので、注目選手を暗記しただけといった有り様。別にドイツのサッカーが絶対的につまらないという意味ではなく、当時の僕がアグレッシブかつドラマチックなサッカーを求めていたので、ドイツがそれに当たらなかったというだけで否定しているわけではありません。よく言えば玄人受けするサッカーと言えますが、だからこそ世間受けしないとも言えるわけです。

そんなドイツサッカーの礎となっているのが「ゲルマン魂」。どんなに劣勢でも諦めることなく戦い続け、ついにはその試合をものにしてしまうというドイツ人が持つ精神性が具現化したものです。サッカー評論家の後藤健生氏によれば「ドイツ人は頑丈な肉体とスタミナを売りにしていますが、それを最も有効に活用し、勝利に結びつけるためのプレー・スタイルとして築きあげられてきたのが一見、頑固一徹に変わらぬ戦法を続けるドイツのサッカー・スタイルになった」とのこと。ドイツはそうしたプレースタイルで、スペースを抑える体力とスペースに走りこむスタミナを駆使した戦法を相手がめげるまで繰り返して、得点機を見出すことで結果につなげてきたのです。サッカーはスポーツでありエンターテイメントではなく、また世界でいちばん注目を浴びるスポーツであるため代表チームのメンバーは国家の期待と維新を一手に担って闘います。それを最も堅実に実行しているのがドイツと言えるのなら、ドイツのサッカーはドイツ人以外が観れば面白く感じれらないのは当たり前です。レベルが低いから面白くないのではなく、ハイレベルであるにもかかわらず手堅いサッカーをするからこそ面白くないのです。でも、これがドイツのサッカー。所変われば品変わるわけで、その国の国民性がスポーツに如実に現れるのは当然のことで、あくまでもゲルマン魂、つまりドイツ人らしさに徹したサッカーをするドイツとは、実は最も愛すべきチームだと言えるのかもしれません。

この映画の主人公コンラート・コッホとは、映画ではイギリスから母国ドイツへサッカーを持ち込んで普及させた功労者として描かれていますが、実際はかなりの部分が創作とのことで、作中での見どころのシーンはことごとくフィクションらしいです。帝政ドイツ時代の階級社会に対抗し厳格な規律や服従を払いのけ、敵国のスポーツであるサッカーを生徒たちに教え、本来つながりようのなかった人たちがひとつに結束していくストーリー展開は王道ではありますが、引きつけられ心揺さぶられました。ただ、実際にサッカーがドイツに導入された経緯が作品と同じだったとしても、やはりドイツ人はドイツ人なんだなと思いました。なぜなら、厳格な規律や服従(遵守)はドイツ人の美徳そのものであり、ドイツサッカーそのものではないですか。だから、当局の反対を押し切って成立した、革命的つまり反体制的なサッカーというのは、ドイツ的には思えない。僕の勝手な思い込みに違いありませんが、映画は映画、サッカーはサッカーと区別して観るべき作品だと感じました。


閲覧ありがとうございます。クリックしていただけると励みになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です