怪盗グルーの月泥棒

(2010年 / アメリカ)

月を盗む計画を立てた怪盗グルーは、ライバルであるベクター家に出入りする3姉妹を養女にするが…。

子供向け作品が侮れない理由

怪盗グルーの月泥棒

僕が子供の頃、たしか日曜の朝とか金曜の夕方から、戦隊が活躍する特撮や巨大ロボットアニメが放送されていて、毎週テレビの前に釘付けだったという記憶があります。そういった番組のストーリーは当然のことながら子供向けなので、ストーリーは、正義のヒーローが地球征服を企む悪の勢力を懲らしめるという単純明快なもの。いわゆる勧善懲悪ものの王道というやつで、水戸黄門や大岡越前のような時代劇にも共通する概念ですが、時代劇ではたいていの子供は見向きもしません。なので、派手なコスチュームや合体ロボットの登場などで子供の目を引くよう味付けがされているわけです。ただ、見た目を子供仕様にしかたらといって、無条件で子供たちからの支持を得られるというわけではありません。

子供が釘付けになるのは、ストーリーが単純明快であるということが第一でしょう。言い換えれば、ストーリーの骨組みがしっかりしている、起承転結の破綻がない、毎回同じパターンながらもワクワクさせられる、はっきりとしたメリハリがある、となるかと思います。大人が見たら、たしかにわざとらしい展開に苦笑させられる箇所も多々あるのですが、それでも一本の作品として30分間の鑑賞に耐えられる内容になっているはずです(退屈さは伴うでしょうが)。大人になって社会の汚点やしがらみなどを知ってしまうと、そういった一本調子のドラマに感興が薄れ、練りに練られた伏線が走り回る社会派のドラマに人気が集まるのは当然です。

僕は以前(いちおう今もですが)脚本家を目指していて、学校に通って勉強をしていたことがあるのですが、受講していた講義の先生が言っていたのが、「子供向けのドラマ脚本を書くのはとても難しい」ということ。素人の僕には、子供向けなんてパターンが決まっているから、それに沿って書けば楽勝なんじゃないか、人生の辛酸を嘗めている大人が面白いと思うドラマを書くほうがその何十倍も難しいんじゃないか、と当時は思いました。ただ、授業の課題で何本か脚本を書き、またコンクール向けに執筆しているうちに、あることに気付きました。それは、たとえ短い作品だったとしても、話の筋を通すことがすごく難しいということ。審査員の目に留まるよう気合が入るあまり、登場人物の一貫性のなさ、ストーリーの破綻、起承転結のメリハリが弱い、ラストが印象深くない、などは毎度のこと。テレビや映画で世に出回っているどんな作品にもこうした批判は受けますが、一定の支持は得られます。逆に、子供向けのような作風にすると、優等生的だとか言われたり、無難に仕上げようとした製作者の小心を詰られたりします。

これほど映像のチャンネルが多様化している現在において、いかに自社のドラマの視聴者を増やすかということはどの製作者も頭を痛めるところです。したがって、ある部分だけ強調して特定層のみの支持を集めるか、サプライズ的な演出をしてまずは多くの視聴者を一網打尽にするか、それとも過去の名作やベストセラーの威光を借りて継続的な視聴者を確保するか、などはつねに議題に上がる懸案であると思います。そんな中で、いかに奇をてらった戦略を練りあげても通用しないジャンルがあります。それが戦隊ものや巨大ロボットアニメなどの子供向けドラマ。大人が見て面白くとも、それは子供の夢を壊すことにつながります。そういう筋が通っていないドラマは、子供を不安にさせます。だからこそ、「子供向けのドラマ脚本を書くのはとても難しい」のです。

おそらく、この映画を観た大人の中で、ストーリーが面白いと思った人は多いでしょうが、大人向け作品の基準では鑑賞していないはずです。そうでないと、話が単調、わかりやすすぎる、大どんでん返しがないなどの批判が次から次へと出てくるわけですから。大人の特権として、童心に帰る、子供に戻るという言い訳が通用する場合があります。こうした映画を観る瞬間もそのひとつでしょう。そうした心境の大人も満足させなければいけないことを考えると、子供向けのドラマ脚本を書くことは、二重の意味で難しいと言えますね。


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