魔法にかけられて

(2007年 / アメリカ)

“永遠の愛”を約束されたはずの純心無垢なおとぎの国のプリンセス・ジゼルが、現代のニューヨークで健気に生き、純粋な心で人々の心に優しさを呼び込み、やがて自分も本当の愛を見つけていく物語。

一粒で二度おいしいディズニー

魔法にかけられて

調べてみたところ、日本製のアニメは世界で6割超のシェアを誇っており、ヨーロッパで放送されるTVアニメの8割が日本製だとのことです。このように、日本のアニメ、ジャパニメーションは、圧倒的に世界を席巻しているわけですが、ジブリやガンダム、コナン、ワンピースなどより、小さい子供から大人まで誰もが知っているアニメといえば、ディズニーのアニメなんじゃないかなと思います。白雪姫やピノキオ、眠れる森の美女、シンデレラといったお伽話から、くまのプーさん、美女と野獣、リトルマーメイド、リロ・アンド・スティッチまで、個々の作品で見るとディズニー作品はあらゆる年齢層における知名度で日本製アニメを凌駕していると思います。

日本製アニメはストーリー性で優れており、重厚で深みのある展開に外国人は強く惹かれると聞いたことがあります。ですが、この特性こそがファンを限定することにつながり、ストーリーの難解さや敷居の高さにより障壁を作ってしまうことになります。激しい戦闘で血が飛び散ったり、子供に見せられない内容だったり、意図が伝わりにくい日本的なギャグだったり。ひとつひとつの作品に固定ファンが付くのは当然ですが、やはり誰でも掛け値なく楽しめるというものは少ないため、ファンが分散傾向となってしまい、ひとつの作品が爆発的に支持されるというケースはそれほど多くないのではないかと勝手に推測しています。

その点、ディズニーのアニメは普遍的だと思います。普遍的というのは、アニメらしいアニメだということ。これはディズニーではないのですが、「トムとジェリー」を見るとそれがよくわかります。まずセリフが少ない。そして絶えず動き回っている。このふたつの要素でストーリーを作っていて、確実に視聴者に意図を伝えているのです。このアニメの筋書きは、ネコのトムがネズミのジェリーを追い掛け回すという単純極まりないものなのですが、これだけで幾通りもの話を作っている。しかも視聴者を飽きさせないのです。

ディズニー、特に映画版は日本のアニメを意識してかストーリー仕立てになっていますが、それでも、正義が悪を成敗するというわかりやすい対立構造、セリフじゃなくて動きで話を進めていくことで難解さを排除する、そしてコミカルであるという姿勢は持ち続けています。だから、心理描写を多用する日本のアニメ(エヴァンゲリオンなど)を見てよくわからないという意見はあれど、ディズニーアニメでよくわからないという意見は出ないはずです。

この映画もディズニーらしく、誰にでも理解できるストーリー展開で、登場するキャラクターはせわしなく動きます。ただ、アニメと実写を混合させているため、さすがに実際の人間に「ドピューン」と走らせることはしていませんが、たとえ敵であっても絶体絶命のピンチに陥るほど強力ではなく、「愛と勇気があれば」といった感じで成敗して「めでたし、めでたし」でハッピーエンドを迎えます。こういった内容なので、たとえ途中から観ても完全に話についていけたものと思います。それくらいわかりやすかった。これぞディズニーの真骨頂です。

おそらく、ディズニーはアニメはもともと子供のためのものという姿勢を崩していないのだと思います。その反面、日本のアニメは大人の鑑賞の耐え得るものにまで市場を拡大したため必然的にターゲットを絞り込まざるを得ず、ある層にはわかりにくいという事態が発生してしまったのだと思います。それはそれで戦略でしょうからいいとして、子供向けのはずのディズニーアニメが大人をも夢中にさせてしまうのはなぜかというと、やはりディズニーが「親が子供に見せたいと思わせるアニメ」を意識しているからではないでしょうか。この点はジブリと共通点があります。日本のアニメはその特殊性ゆえ入れ替わりが激しくならざるを得ませんけど、ディズニーはこの調子でずっと存続していくんだと思います。もしディズニーが変節してしまったとしたら、それだけで「子供の夢を壊す」ことになってしまうからです。


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