善き人

(2008年 / イギリス・ドイツ)

1930年代、ヒトラー独裁が進むドイツ。ベルリンの大学で文学を教えるジョン・ハルダーは、善き人であろうと心がけて生きる平凡な男。しかし、過去に書いた《安楽死》をテーマにした小説をヒトラーに気に入られたことから、ナチスに入党せざるをえなくなってしまう。

善人か、それともいい人か

善き人

普段何気なく、特定の人を指して「あの人、いい人だよね」と言うことがあると思います。職場でも、学校でも、行きつけのコンビニでも、馴染みの喫茶店でも、親切で気が利いて感じのいい人なら誰でも「いい人」と表現できるし、このひと言でその人がどういう人であるかをズバリ言い表せる便利な言葉だと思います。それに、他人から自分のことをそう言われたとしたら、嫌味に受け取ったり穿った見方をすることがないかぎり、少なくとも悪感情は抱かれていないという確証を得られたという意味で、まぁ、悪い気持ちにはならないでしょう。ただ、直感的に「いい人」という印象を抱く対象というのは、たいてい完全なる第三者です。つまり、親友であったり恋人であったりといった親密な関係とは受け取られていない。だから自分自身が「いい人」と言われたら、悪意がないと評価されたと肯定的に受け取るか、それとも「都合のいい人」と見られていると判断したほうがいいのかもしれません。

では、いい人とは心理学的にどういう人のことを言うのでしょうか。確定した定義があるわけではないので通説にはなりますが、「過剰に自分を抑え込んでしまっている人」とのことです。具体的には、自分の意見を言えない、自分よりも誰かを優先させてしまう、自己評価が低い、思春期に反抗期がなかったなどの特徴がある人が当てはまり、ずっと美徳だと信じてきたその優しさや謙虚さのせいで損をしている人だとも言えます。傾向として長男・長女に多く、幼児期における「いい子であるべき」という両親からの教育方針に強い影響を受けて両親の顔色をうかがうことを覚え、その結果、他人を優先することを最善とする、控え目で自己主張しない大人になっていくといいます。というわけで、幼児の段階で、周囲の人から「○○君は、いい子だねー」と言われて頭をなでなでされている子は、将来的に「いい人」になる可能性が高いのです(反動で非行に走るケースも多々ありますが)。

さて、この映画ですが、タイトルからして主人公は上述したような「いい人」チックな人物像であると想像してしまいますが、制作側の意図としては「善人」なのでしょう。その響きから宗教的な意味合いも感じ取れますが、どちらかと言えば、意志薄弱な「いい人」に対して品行方正で清純な「善人」という位置づけでしょうか。卑近なたとえで言うと、常識に外れることをしたり嘘をつかない人のことで、見返りを求めない博愛精神でボランティア活動に精を出す、といったところでしょうか。単に「悪人」の反意語であると言ってしまえばそれまでですが、この「善人」からは、気さくで後腐れのないコミュニケーションを是とする「いい人」とは異なり、神の領域にいるような近寄りがたさすら感じるところも特徴的であります。

そういった皮膚感覚は人それぞれですが、この映画のタイトルとして描かれている「善き人」とは、自らポリシーを持ちながらもナチスの台頭という時流に流され、結局自身の意に反する行動に見を染めていく人のことをいうようです。逆に考えれば、自分の意志に添ってナチスからの勧誘を断固拒否し、その活動を糾弾する行動に出ていたとしたら、彼は「悪人」となるのでしょうか。ただ、当時はナチスの権力が絶対だっため、反抗すると投獄されることもあったことを考えると、不本意ながらも生活のためナチスに加担した人たちはかなりいたと思います。だから、いまほど言論の自由に乏しい当時としては、強い者におもねることは「善」であったと考えることもできます。では、主人公のジョンは「善(善人)」だったのか。彼のどこか日和見的な性格、そして原題の「GOOD」には、おとなしいとか行儀の良いといった意味があることから、邦題は「善き人」というより「いい人」のほうが近いのかなと思いました。


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