マンデラの名もなき看守

(2007年 / 南アフリカ他)

南ア初の黒人大統領、ネルソン・マンデラと、彼が27年にわたる獄中生活の中で出会った白人看守との触れ合いを綴った感動の実話。

アパルトヘイトは終わらない

アパルトヘイトとは何かについて調べてみました。アパルトヘイトはアフリカーンス語で分離や隔離という意味を持つ言葉で、南アフリカ共和国で施行されていた白人と非白人を区別する人種隔離政策とのこと。この白人というのが支配層であるイギリス系住民のことであり、非白人とは要するにそれ以外の人種に属する人たちのことです。それ以外とは、言うまでもなく原住民である黒人、カラードと呼ばれた混血、インド人、アジア人のこと。日本人も人種的には非白人に相当するのですが、当時の経済関係により名誉白人として白人扱いされていたとのことです。

政策の要綱はつまり、南アフリカ全人口の16%でしかない白人を至上とし、それ以外の人種の権利を制限すること。参政権、移動、居住、労働、教育、結婚などの点で、特に黒人に対して厳しい差別がなされていました。黒人は人口の70%を占めていましたが、国土のたった9%の不毛な土地に追いやられていたとのことです。

こうした酷い人権侵害政策であるアパルトヘイトがなぜつい最近まではびこっていたのか、その理由は南アが世界有数の資源国だったからです。特に入手の難しいレアメタルの産出国だったとのことで、先進国は人権擁護を叫ぼうにも強く出ることができなかったという事情がありました。しかし、冷戦が集結し、レアメタル産出国である中央アジア諸国が独立すると、状況は一変。国際社会は南ア非難へと動き、南ア国内もアパルトヘイト存続の不利を悟り、撤廃の方向へと動き始めます。ここで27年間も投獄されていたネルソン・マンデラ氏が大統領に選出され、アパルトヘイト撤廃となりました。

ですが、撤廃されたことでよしとすべきではありません。アパルトヘイトが記憶に新しいだけであって、こうしたあからさまな人種差別政策は帝国主義の象徴であり、第二次大戦終結以前の世界ではごく普通にまかり通っていました。イギリス、オランダ、フランス、ドイツなどの欧州列強はアジア・アフリカに植民地を獲得すると現地人を追放して一等地を占拠。彼らを奴隷として酷使して資源や特産品を収奪し、本国の製品を高く売りつけるという「陣取りゲーム場」の一環として搾れるだけ搾り取り、同じ人間として見ることはしませんでした。戦争が生んだ負の遺産は世界各地でいまも残っています。

こんなことを言うと、日本だって満洲や朝鮮、台湾を植民地にしたじゃないかという反論をされそうですが、そもそも日本と欧州列強の植民地経営はその理念からして性質を異にします。欧州列強の植民地政策は「支配して収奪する」ためのものであり、対する日本のそれは現地人を「日本人化して保護する」ためのものでした。つまり、欧州列強は現地人を奴隷としか見ておらず、日本は現地人を同化させるという目的で教育、インフラ整備、衛生観念の徹底などを施した。「支配」と「統治」はまったく違います。ただ、いまの韓国を見ていると、当時の国際的慣習に照らし合わせてみても、日本の統治政策は寛容すぎたという意見も頷けるのですが。

さて、この映画で取り上げられているネルソン・マンデラ氏ですが、昨年12月に95才で亡くなりました。欧米の典型的な植民地政策の中で戦い続け、ついに自由を勝ち取った“生きるレジェンド”がこの世を去りました。帝国主義時代がまたひとつ終わったわけですが、それでも欧州列強が勝手に引いた国境線は残り、土地を追われた民族同士が殺し合うという悲惨な現実を引き起こしています。これから第二、第三のマンデラが現れるのか、それとも再び全世界的に覇権主義がはびこるのか、誰にもわかりません。


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