グラン・トリノ

(2008年 / アメリカ)

妻に先立たれ、孤独な生活を送っている老人・ウォルトは誰にも心を開こうとしない。そんなある日、隣家の少年・タオがウォルトのヴィンテージ・カーを盗もうとするが失敗し…。

アメリカの人種構成がひっくり返るとき

グラン・トリノ

アメリカに行って気づくことがあります。特に大都市で顕著なのですが、市内のファストフード店やカフェ、空港の売店などの販売員がかなりの確率でヒスパニック系や黒人だということです。初めてアメリカに行った時、本場のマクドナルドで食事するのをとても楽しみにしていて、映画俳優のような白人店員が「Hi!」と白い歯を見せてスマイルしてくれるのかと思っていましたが、カウンターで僕を待っていたのはスペイン語訛りの強いヒスパニック系の店員。しかも、カウンター含めて奥のほうもほとんどヒスパニック系でした。これはたまたまだったかもしれないし、別に人種差別をしたいわけでもなく、「あぁ、これがアメリカか」と軽い目眩とともに現実を受け入れました。このあと訪れた観光地のチケットブースや移動型売店のスタッフもほとんど非白人(黒人・インド系・アジア系・ヒスパニック系)で、マクドナルドやKFCなど日本でもお馴染みのファストフード店ではヒスパニック系が非常に多かったことを覚えています。

人件費がその理由なのかと考えました。2014年4月のアメリカの失業率は6.3%で、人種別では白人が5.3%、アジア系アメリカ人は5.7%、黒人は11.6%、ヒスパニック系は7.3%。これだけ見ると、黒人とヒスパニック系の失業率が比較的高いことがわかりますが、だからといって黒人とヒスパニック系の人件費が安いということにはなりません。実際、英語がうまくない、見た目(肌の色)が人の気を引かないなどの理由で、白人よりも安い給料に甘んじるケースがあるという話は聞きますが、生産性という観点からすれば個々人の能力にかかってくるため、人種で一括りにして人件費の多寡を決めるというのは、アメリカ人が大切にする合理性からはかけ離れていると言えます。では、いったいなぜアメリカの都市のファストフード店には非白人スタッフが多いのでしょうか。

それは、日本のコンビニや飲食チェーン店に視点を移してみるとうっすらと答えが見えてくるように思えます。ここ最近で僕が住む東京のどこのコンビニに行っても、中国人スタッフを見かけるようになりました。牛丼や居酒屋チェーン店もそうです。これはどうしてでしょうか。特に職業的スキルを持っていなくとも、日常会話レベルの日本語さえできれば就業可能だからというのが一番の理由だと思います(企業によっては一定数の留学生を雇う決まりを設けているところもあるとのこと)。ですが、実際は、低賃金かつ重労働の職に就くことを日本人が敬遠するようになったため、その穴を埋める格好で中国人をはじめとする留学生がアルバイトとして雇われることとなったとも考えられます。企業としては、マニュアルさえ覚えてくれれば別に日本人でなくてもいいわけだし、時給も日本人より安く設定できるのであれば言うことなしなはずです。この傾向が続けば、ある程度の日本語会話能力と職業的スキルを身につけた留学生に、飲食を中心としたサービス業を奪われてしまうことになってしまうかもしれません。

この映画は、まさにそうした将来の日本の姿が舞台になっています。多民族で構成された共同体というのがアメリカの本来の姿であるため、特にそれが顕著な部分を切り取って舞台にしたわけではないのですが、この映画にはいわゆるピュアなアメリカ人は出てきません。人工国家であるアメリカにピュアなアメリカ人も何もないのですが、主役のクリント・イーストウッドをはじめとした白人の主な登場人物は皆「オレはポーランド系」「お前はイタリア系」「あんたはアイルランド系」などと出自を明らかにして、もとからのアメリカ住人ではなかったことを主張します。ほかに登場するのは、アジア系(モン族)と黒人。まるで、僕が初めてアメリカのマクドナルドに入って感じた現実そのものがこの映画を彩っているのです。

映画を観たあとで知ったのですが、この映画の舞台となったのはデトロイトだそうです。デトロイトと言えばかつてモーターシティと呼ばれた自動車の街ですが、近年のコスト削減策に沿って工場はどんどん人件費の安い中国や中南米などに移転し、街はいつしか空洞化。そして、2013年7月には連邦破産法9条の適用を申請し事実上の財政破綻となりました。これにより、人口は激減して公共サービスは低下し、街灯の4割が消え公園の7割が閉鎖されたそうです。この結果、犯罪率が急上昇して「全米で最も危険な都市」という不名誉な称号をつけられてしまいました。

治安が悪化したデトロイトからは裕福な白人たちは他の都市に逃げてしまったのでしょうか。財政をできるだけ切り詰めコスト削減に走らなければならなくなったこの都市を見限り、社会不安を抱えた黒人やヒスパニック系などの低所得層からの襲撃を恐れて逃げてしまったのでしょうか。だとしたら、この映画の登場人物たちはみな、取り残された人たちです。彼らは繁栄が望めなくなった街で一体何を拠り所とし、何を信じて生きていけばいいのか。映画を通して、それがよく描かれていると思いました。


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