サラエボの花

(2007年 / ボスニア・ヘルツェゴビナ)

ボスニア紛争中に収容所でレイプされてできた子供・サラを女手ひとつで育てるエスマ。サラに父親のこと聞かれても詳しく話さずにいたエスマだったが、ついにそのことを告白する日がやって来る。

日本人が知らない民族紛争の悲劇

サラエボの花

その複雑な民族構成からモザイク国家と言われたユーゴスラビア。1990年近くになってソ連が民主化へと舵を切りだすと、東側諸国を中心に共産主義が否定されはじめ、ユーゴスラビアにおいてもセルビアやクロアチア系などが民族自決を唱えだします。そんな中、セルビア共和国のミロシェビッチ大統領がアルバニア系住民の多いコソボを併合しようとすると、コソボは反発して独立を宣言。これをきっかけにユーゴスラビアは内戦状態になります。その後、スロベニア、マケドニア、クロアチアが独立。ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年に独立しますが、国内のセルビア人がボスニアからの独立を目指して戦争を繰り返します。これが、第二次大戦後のヨーロッパで最悪の紛争と呼ばれるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争です。

ムスリムとクロアチア人が独立を推進したのに対し、セルビア人はこれに反対し分離を主張したため、両者の間の対立が深刻化し軍事衝突に発展。およそ3年半以上にわたって全土で戦闘が繰り広げられた結果、大勢の死者や難民が発生しただけでなく、ムスリムに対するセルビア人による悲劇が起こります。のちに「スレブレニツァの虐殺」と呼ばれる悲劇で、セルビア人勢力がムスリムの男性を絶滅の対象とし8,000人以上を組織的に殺害。また、女性を強姦して強制的に妊娠させ、妊娠後も一定期間拘束し出産せざるを得ない状況になった段階で支配地域外に解放するという「民族浄化」が行われました(ただ、この件がセルビア人の仕業とクローズアップされた背景にはアメリカのPR会社があるとも言われています)。

この映画の舞台となっているのは、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボのグルバビッツァ地区。ここもムスリム、セルビア人、クロアチア人が住み、また紛争の傷跡があちこちに散見される地区です。子供たちは紛争のことを知らず、戦死した父親のことはシャヒード(殉教者)として教えられているだけであり、母親がどのような悪夢を乗り越えてきたのかも知りません。主人公のエスマもまた紛争に巻き込まれた女性のひとりで、同じ過去を持つ女性たちとの会合に参加しながら、一人娘のサラを育てています。生意気盛りのサラはエスマの過去など知る由もなく、父親がシャヒードであることを信じ、修学旅行の旅費免除のためのシャヒード証明書をめぐってエスマに盾突きます。ストリップバーでの給与では足りず金策に走るエスマですが、ついにサラに真実を明かさねばならない日が訪れるのです。

民族紛争と言っても日本人にはピンと来ないかもしれません。ムラ同士の諍いだとかヤクザのシマ争いをそれに当てはめても、憎悪の溝は比べ物にならないほど深いはずです。中国のように国策として少数民族を漢族に同化させる政策を取っている国を見ればわかるように、強引に他民族の土地を奪ったり人口を制限しようとすると死者を伴う反発が必ず起きます。私たち日本人は、外国に行って珍しい衣装を着ている少数民族を見ると競って写真を撮ろうとしますが、そうした彼らには得も言われぬ民族的威信や抑圧されている苦しみが渦巻いていることをいまこそ知らねばなりません。


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