ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

(2001年 / アメリカ)

東西冷戦時代に性転換手術をして東ドイツからアメリカへとやってきたヘドウィグは、手術のミスで残された股間の「怒りの1インチ」に苦悩し続けながらも、ロックシンガーとして活動を続けていくが…。

音楽シーンにおける男女逆転現象

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

歌の世界では、歌い手の性別にかかわらず、歌詞の一人称を「僕」にしたり「私」にしたりして性別を逆転させることがよくあります。この傾向は、男性歌手より女性歌手のほうが強いんじゃないかなと思います。男性で一人称を「私」として女性の立場になって歌うケースは演歌では定番ですが、最近のポップスやロックはほとんど聴きません(僕の印象です)。ごくたまに耳にすることがありますが、そういった曲の歌詞は、たいてい時代を古くしたものとか情緒を訴えるため、ちょっと毛色を変えた感じで実験的な意味合いを狙ったものという印象を受けます。つまり、その歌手がテイストの違う一面を見せたかっただけで、本音のメッセージとはちょっとかけ離れているということ。というのも、男性が女性の心情を歌い上げるのは、余程の実力派でない限り難しんじゃないかと思います。曲調の面からも同じようなことが言えますね。ポップスはまだしも、ハードロックやパンクなどの爆音系では伝わるものも伝わりづらいでしょうから。それでは、女性歌手が男性を装って一人称を「僕」として歌うのも同じでしょうか。いや、これがしっくり来るんですね。むしろ「私」として歌うよりも強くメッセージが伝わってくることがしばしばあります。

女性歌手が「僕は歩いて行くよ♪」とか「君(女の子)は僕を待っててくれてるのかな♪」と歌うと、すごく健気で真っ直ぐな意志を持った少年の姿が鮮明に浮かんできます。男性歌手が同じような内容の歌詞を歌うと、わざとらしく感じたり歯が浮くような興ざめを感じることがよくあるのですが、女性歌手だとすんなりと耳に入ってきて、その歌詞の状況を僕自身の立場に置き換えてしまえるから不思議です。それに、歌詞のシチュエーションもたいてい共通しています。克服できなそうな壁にも果敢に立ち向かっていく、気が弱く小さな存在だけれども夢は大きく持っている、好きな女の子に恥ずかしくて告白できないけど少しずつ近づいていく。もちろん男性歌手も同じテーマを歌うのですが、女性歌手のほうが真に迫っていて応援歌的に聞こえてしまうのです。女性はもともと情緒的だから、一人称が男女どちらでもリスナーには強いメッセージ性を伴って届くのでしょうか。人それぞれなので確実なことは言えませんが、とにかく印象として女性歌手が「僕」を一人称にして歌う歌は、誰もが夢中になって読んでいた少年マンガの主人公を思い出させることは共通しているのではと思います。

僕が少年だった頃に聴いた歌はこうした現象はあまりなかったように感じます。それほどたくさんの歌を聴いていたわけではありませんが、男性は男性、女性は女性でした。読んでいた少年マンガも、主人公の一人称は「僕」ではなく「俺」。弱気を全面に出して強気の女の子にいじられるラノベの主人公とは相容れない、男らしい男が主人公でした。「北斗の拳」や「聖闘士星矢」「魁男塾」など、みな眉が濃く、強くなって宿敵を倒すため辛い修行に励む熱血漢でした。だから、その頃の男性歌手による歌の歌詞の一人称も「俺」が多かった気がします。「僕」と聴くと、すごく情けない、弱々しい、さらにはお涙頂戴で打算的という印象を受けました。現在は「草食系男子」などという腐った流行語に代表されるように、いわゆる男らしい男は脇に追いやられようとしています。男女平等とかジェンダーフリーとかいう無性化的かつ性差別的で、それでいて美しく聞こえる標語を駆使し、男女の役割分担の線引を曖昧にしてしまおうという試みが政府レベルで行われています。その影響かどうかは知りませんが、いまでは自分のことを「俺」と呼ぶより「僕」にしたほうが女性からの受けが良いという話も聞きました(僕自身、人のこと言えませんが)。歌を聴いて感動することはとても素晴らしいことですが、歌を通して男女間の区別がごたまぜになって男女の区別が間違った方向に流れていっているような気がしてしまうのは僕だけでしょうか。

この映画の主人公ヘドウィグは、本来男性でありながら女性になる手術をした人物です。でも、手術に失敗し「女性的な」肉体になりきれなかった人でもあります。ヘドウィグはその怒りを歌に込めてシャウトします。殴りつける、といった表現がピッタリ来るほど激しい調子で、歌を腹の底から吐き飛ばすように歌います。それでもヘドウィグは女性になりきろうとしました。歌は男性的でありながらも、自身の肉体は女性として生きようとしたのです。そのたびにウィッグを取り替え、自分に合った女性像を模索します。歌では男性的な怒りを吐きつけながらも、心では女性でいたいと願ったヘドウィグ。性差で葛藤しながら、最終的にヘドウィグはどんな選択をするのか。その姿を、日本の音楽シーンの行く末と絡ませながら観ていました。


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