クロエの祈り

(2012年 / カナダ、フランス)

カナダ人産科医のクロエは毎朝イスラエルから国境を越え、パレスチナ難民キャンプ内の診療所に通っていた。そんなある日、出産が迫った患者が検問による渋滞に巻き込まれ…。

パレスチナ問題に立ちふさがる壁

クロエの祈り

パレスチナとは、現代のパレスチナ国の領土としてのヨルダン川西岸地区とガザ地区を含めた地域のことですが、もっと広い意味ではイスラエル、パレスチナ自治区、ヨルダン、レバノンとシリアの一部を指します。で、パレスチナ人とは、ヨルダン川より西の、現在のイスラエルとパレスチナ自治区に居住している人々のことを言うようです。聖書で「乳と蜜の流れる土地」と称えられたこの地は、十字軍やナポレオンの遠征など世界史の舞台となり、16世紀以降はオスマン・トルコ帝国の一部として、アラビア語を共通言語とし、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が共存。19世紀になると、西欧帝国主義諸国が中東に進出し、オスマン帝国は崩壊の危機を迎えます。そんな中、オスマン帝国からの独立を目指すアラブ人の民族主義の動きが活発化。同時に、ヨーロッパで差別や迫害を受けていたユダヤ人の間では、パレスチナに民族国家建設をめざす「シオニズム」が生まれます。ここでのちにパレスチナ問題の直因となるイギリスの三枚舌外交が始まります。戦争資金を調達するためユダヤ人コミュニティに協力を仰ぎ、「パレスチナにユダヤ国家建設を支持する」と表明したバルフォア宣言、アラブ人にはイギリスへの協力の代わりに「アラブの独立支持を約束する」とするフセイン・マクマホン協定。さらに、さらに同盟国であるフランスとは、戦争終結後は分割するというサイクス・ピコ協定を秘密裏に結びます。

第二次大戦後、国連はパレスチナにアラブとユダヤのふたつの国家を作るという「パレスチナ分割決議」を採択。しかしその内容は、パレスチナに古くから住む多数のアラブ系住民に43%、新しく移住してきた少数のユダヤ系住民に57%の土地を与えるというもので、アラブ系住民とアラブ諸国から猛反発が起こります。パレスチナを統治していたイギリスは、アラブ民族主義とシオニズムの対立の激化になすすべなく、一方的に撤退。アラブ・ユダヤ双方の武装対立と緊張関係のなか、1948年にユダヤ側はイスラエル建国を宣言しました。イスラエル建国宣言を受け、第一次中東戦争が勃発。この戦争で70万人のパレスチナ人(パレスチナに住むアラブ系住民)が居住地を追われ、ヨルダン川西岸地区やガザ地区、そしてヨルダン、シリア、レバノンなど近隣諸国に逃れました。住民がいなくなった町や村は完全に破壊されるか、ユダヤ系住民が住むようになりました。一方、難民となったパレスチナ人は、難民キャンプの粗末なテントや洞窟などで困窮を極めた生活を強いられます。「パレスチナ難民」です。

その後、中東戦争は4次にわたりイスラエルの攻勢が続きます。軍事占領下では、パレスチナ人の基本的人権は保障されず、社会・経済の発展も阻害されました。また難民キャンプでは基本的な生活インフラも整備されず、生活環境は劣悪なまま放置。1970年代に入るとイスラエルによる西岸・ガザ地区への「入植地」建設の動きが強まります。90年代までには25万人以上のユダヤ人が入植し、パレスチナ人の危機感が高まりました。1994年以降、ガザとヨルダン川西岸でパレスチナ自治が開始され、外国の援助による難民キャンプのインフラ整備も徐々に進み始めましたが、パレスチナ人の生活状況は一向に改善されず、政治的な進展もないままイスラエル側は重火器を投入して一般市民を攻撃し、パレスチナ側では自爆攻撃が相次ぎました。2005年にイスラエル軍・入植者がガザ地区から撤退したものの、西岸地域では、2002年から巨大な「隔離壁」(西岸とイスラエルを隔てるコンクリートや鉄条網の壁)の建設が開始。隔離壁は1949年の停戦ラインを超えて建設され、ユダヤ人入植地や入植者専用のハイウェイも組み込まれたため、パレスチナ自治区は飛び地状態になっています。壁により西岸は取り囲まれ、人々の移動が制限されています。

このパレスチナ問題、何となく把握しているつもりでしたが、今回詳しく調べて初めて知ったことが多く、特に劇中にたびたび登場した「壁」に圧倒的な存在感を感じました。物理的にイスラエルとパレスチナ人居住区を隔てるものではなく、異民族、異教徒間の和解を分断するものとして重くのしかかってきました。もちろん、かの地から遠く離れた日本に住み、これまで物にまみれた生活を送ってきた僕が、パレスチナ難民の痛みを分かち合えるなんておこがましいこと言えませんが。それに、イスラエルとパレスチナを隔てている、いや、後からやって来たユダヤ人が先住民族であるパレスチナ人を遠ざけているのは壁だけでなく、「人」もです。隣国同士で領土問題を抱えているのはあることですが、この地でも同じく、人自身が人の往来を妨げる壁となり、壁となった人は人としての感情を忘れ去り、人と理解し合うという人間らしさを失っていく。主人公のクロエはカナダ人だったから、イスラエルとパレスチナ両者と心の通った交流ができたのでしょうが、当事者間ではもうそれはかなわぬこととなっている。幾多のNPOがパレスチナ問題に尽力するもなかなか解決へと至らない現状を鑑みれば、政治家の血液の温度は現場と同じレベルなのだろうかと考えさせられました。


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