イントゥ・ザ・ワイルド

(2007年 / アメリカ)

1990年夏、大学を優秀な成績で卒業したクリストファー・マッカンドレスは、ハーバードのロースクールへの進学も決まり、将来を有望視された22歳の若者だった。ところがある日、周囲に何も告げることなく全てを捨て、彼は姿をくらました。これがクリスの“真実を探す”壮大な旅の始まりだった。

自分探しの旅の果てにあるべきもの

大学時代にすべきことでしなかったことは数えきれないほどありますが、その中でも特に、せずに後悔していることが「できるだけたくさんの人に会うこと」でした。後悔と言うか、そもそもいまでも人見知りが激しく人とは距離を置かないと不安で仕方ない僕が、たとえ大学時代に戻ってもやり直せるはずがないので、女々しい無い物ねだりと言うべきなのでしょうが、とにかく未練を残していることは事実です。まぁ、そういった現実的なことはひとまず措いて、ここで言う「できるだけたくさんの人」というのは、手当たり次第片っ端からという意味ではなく、自分自身の人生観に強い影響を与えてくれると確信できる人たちのこと。大学生程度でそんなに人を見る目は鋭くないと反論されるかもしれませんが、「確信」するということは客観的で確実な裏付けが必要なことよりも、自らの直感によることのほうが多いものです。何となくつるんでいる仲間と一緒にいることは安心ではあるけれど退屈なのとは反対に、「この人なら」と確信した人から得られる刺激というのは想像を絶するものがあります。そういえば、僕も、演説をしている人を急に呼び止めて話をしたりしたことがあったっけ。そういう時って、高揚感で体が火照ってきて足取りも軽くなり、まさに空でも飛べそうな気分になってしまうのです。

おそらく、そういう体験を重ねている人こそが成功者と呼ばれるようになるんだと思います。僕は自己啓発書の類はあまり読みませんけど、たまに触れる機会があった時に共通して感じることは、成功者は例外なく人からの影響を受けているということ。遊び友だちとか大学のゼミの教授とか割と普通に知り合える人ではなく、いろいろな人からのツテをたどって知り合った圧倒的な人間力を備えた人。神がかっていると言ってもいいかもしれません。そういう人から強大なインスピレーションを得て成功者への道を駆け上がっていくわけですが、そんな現人神のような人とめぐり合えるということは決して偶然なことではありません。さまざまな人と出会い影響を受けることで、人間性を磨き、知らず知らずのうちに誰からも会いたいと思ってもらえるような魅力的な人物に成長していたからこそです。だから、いかに時間のない超人的なエグゼクティブだって、彼となら会って話をしたいと思う。現人神とのめぐり合いは、自分からたぐり寄せたというより、現人神のほうこそ会いに来てくれたと考えることもできるわけです。そんな魅力あふれる人材になるには、「できるだけたくさんの人に会うこと」ももちろんそうですが、それよりも前に「動くこと」、つまり「未知の世界に足を踏み入れること」から始まるのです。

これを「自分探しの旅」と言い換えてしまえばそれで収まるのかもしれません。たしかにそうでしょう。でも、よく単なる物見遊山や放浪が目的で海外を彷徨う人がいますが、これで本当に「自分自身」が見つかるはずもないし、ひと皮剥けることさえもできやしません。せいぜい、多少の不便や不衛生でも凌げるたくましさが身に付くくらいでしょう。いや、むしろ不潔さと無精さが悪習となり、一生根無し草でしかいられなくなってしまうことだってあり得ます。ただ、そうは言っても、自分の知らない世界を知るために行動に移したという点では同じです。行動の動機はおそらく皆一緒で、「ここにいては何も学べない」「ここに留まっては成功者にはなれない」ことを悟ったからでしょう。違うのは、立ち上がって正対した先へと向かうのに明確なロードマップがあるのかないのかということ。ここで言うロードマップとは単なる地理としての目的地のことではなく、自らの将来像です。この映画の主人公クリスは実在の人物であったとのことですが、果たして彼に旅に出た本当の目的はあったのか。旅の果てに彼はどんな自分自身を未来予想図として描いていたのか。ただ環境へ反発から家出をしたのではなかったか。社会に対する反抗の証としてドロップアウトしたのではなかったか。観終わって何を感じるかで、あなたが自分自身のことをどう考えているか、朧気ながら見えてくるのではないかと思いました。


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