アイアンマン

(2008年 / アメリカ)

テロ組織に拉致された巨大軍事企業の社長であり天才発明家でもあるトニ・スタークは、彼らの目を盗んで戦闘用パワードスーツを作り出し、脱出に成功する。そして自社兵器がテロ組織に悪用されていたことを知った彼は、テロ撲滅のために“アイアンマン”となって戦いに挑んでいく…。

お約束あってこそのヒーローもの

アイアンマン

日本のテレビドラマのほとんどが原作(特にマンガ)ありのものになってしまい、オリジナル脚本の作品が少なくなったという話をよく聞くようになりました。ドラマを制作する側としては人気のある原作ものなら固定ファンをそのまま視聴者できるし、話題性もつくれる。オリジナルでリスクを犯すより確実という考えなんだと思います。一事が万事、都合よくいくわけではありませんが、イメージを壊されたくない熱狂的な原作ファンでない限り、映像でも見たいと思うファンが大多数なのかもしれません。

それは日本だけでなく、ハリウッドでも同様なのでしょうか。マンガに限って言えば、スーパーマンやスパイダーマンとかのおなじみキャラのリメイクだけでなく、X-MEN、バットマン、ブレイド、そのほか検索したら僕が知らないものまでわんさか出てきました。やはりアメリカ人にとってアメコミヒーローは永遠のヒーローなんでしょうね。それはいいんです。でも、そのストーリーのほとんどが勧善懲悪ものだそうで、こんなに映像化しちゃって、どれを観てもデジャブを感じてしまい共倒れにならないのかと気になってしまいます。

でも、おそらく、子供の頃から親しんできたキャラクターにはそれぞれ特徴があり、思い入れもあるでしょうから、個々の作品の映画化は大歓迎なんでしょう。しかし、問題はその作品や文化に親しんでこなかった僕のような日本人が観て、そう何度も面白いと思えるのかということです。たしか、かなり以前にバットマンの映画を観た記憶がありますが、今回のアイアンマンを観ながら途中でそのふたつがダブってきて、匙を投げかけそうになってしまいました。その原因はパターンです。先の読めない展開という贅沢が一切ない、実に綺麗に類型にハマったストーリー展開でした。

日本のアニメやマンガが世界で評価されている要因として、ストーリーの多様性にあります。それもこれも、日本という品質に関して世界一厳しい市場で揉まれながら継続できているということは、一定以上のクオリティを備えているわけです。剽窃や贋作、ストーリーの矛盾、破綻は一瞬のうちに見抜かれ、速攻で淘汰されていきます。要するに、日本では「A級」しか生き残れないのです。

アメコミ映画を否定するつもりはありません。でも、僕にとっては永遠のヒーローではなく永遠の「B級」です。B級ゆえに安定したストーリーが約束されていますが、特に記憶にとどめておく必要性はない。たとえ続編が出ても気になることもない。なにかの拍子に、アメコミ映画を観たくなったときは、別に何でもいい、観たことのないヒーローの第2作目でもいいし、以前観たものでもいい。とにかく観てから「あ、これ観たわ」とデジャブを感じること。これこそ「帰ってきた」という安心感であり、B級映画ゆえの醍醐味なんだと思います。


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