センター・オブ・ジ・アース

(2008年 / アメリカ)

地質調査に訪れた科学者・トレバー、甥っ子のショーン、地元ガイド・ハンナの3人は、突然洞窟の中に閉じ込められ…。

足を踏み外した先に広がる可能性という名の世界

センター・オブ・ジ・アース

「新しいことをしたい」「やってみたいことがある」「自分を変えたい」。これらは誰しもが思っていることであり、僕自身もその例にもれず常日頃考えていることであります。このように、一見ポジティブで前向きに人生を考えているように思えはしますが、実際胸の内は共通しているもの。それは「時間がないから」とか「仕事で忙しいから」とか「まだ時期じゃないから」とか、さまざまに理由をつけて「でも、ちょっと……」と留保をしているということです。たしかに、そうした事情があって行動に移せないケースもあるでしょう。または単に、一時的に頭の中で想像を描くだけで現状を変えた気になって満足して、そもそも真剣ではないケースもあるかもしれません。真相はどうあれ、行動を起こさないことに変わりありません。では、どうして行動しないのか。それは、「人は新しさを求めながら、そのままでいたいという欲求も併せ持つ」からだといいます。

人間は、安心・安全を求めたい、不安定は好まないといった性質を持ち合わせています。そのため、不確実な世界に足を踏み入れることに対して、ネガティブな感情を持ってしまうことがあるのです。そのままでいたいという欲求は、「でも、ちょっと……」といった認識を生み出します。人間には無意識に自分を守ろうとする心理的なブレーキがあり、心理学ではそれを「防衛機制」と呼んでいます。これは万人共通の本能ではあるのですが、だからこそ何かを始めたいと思ったら、まずこの防衛機制に打ち勝つための心構えが必要となるのです。

ただ、防衛機制といっても効用はさまざまで、「抑圧(ストレスそのものを無意識の中に押さえ込む)」「投射(自分の嫌なところを相手に見出し攻撃するなど)」といったマイナス面がある一方、「昇華(欲求やストレスをスポーツ、芸術、宗教など社会的に容認される方向に転化させることで解消する)」「合理化(欲求が満たされないとき、耐え難い感情を理知的に処理し自己を正当化することによって解消する)」など、比較的健康的な働きも見られます。そのため、防衛機制を完全に悪玉視して排除しようとすることは、人間的な感情の喪失にもつながり得て好ましいとはいえません。では、「でも、ちょっと……」と尻込みしてしまうことも人間が生きていく上での心理的宿命として諦めなければならないのか。そんなことはないはず、いや、そうであってはならないはずです。

新しいことをしたい、自分を変えたい、でもリスクが怖い。どこにでもある一般的なロジックだと思いますが、これが真理です。だったらそのリスクを事前に軽減または消去すればいいわけです。明確な方法論はひとまず措いておいて、変化を起こそうとすることで発生しうる障害を受け入れてしまえばいいのです。たとえば、嫌と言えない性格を捨てたいとしたら、相手にNoを突きつけることで返ってくる反発こそ変化への第一歩と考える。その一方で、これまで誰かに頼むことをしてこなかったとしたら、頼んで依拠することの安心感に浸る。「一皮むける」とか「殻を破る」という表現には強行的なニュアンスが感じられますが、本当はもっと緩やかな努力が重なったうえでの結果とするべきなのかもしれません。

さて、僕はどうだろう。「新しいことをしたい」「やってみたいことがある」「自分を変えたい」。これらは、余すところなく僕の口癖です。もう同じことを十年、いや二十年以上言い続けているでしょうか。では、まずは自分が嫌だと思うことを少しずつ克服していくところから始めるべきでしょうか。それでもいいのですが、僕の場合、計画的に物事を進めていくのが非常に苦手で、つねに直感で動いてきました。時には感情的になって激しく後悔することもありますが、それでもなんとか生き残ってこれたことは事実です。だから、一歩踏み出した先で地崩れが起きて地底世界に放り込まれるとか、ペダルに足をかけた自転車がブレーキの壊れた暴走車だったり、野良猫に餌付けしてたら恐竜に変化して襲いかかってきたり、そんなファンタジックなことでも受け入れられます。非現実だとは百も承知ですが、何でも起こりうる可能性をまず認めないと、「自分を変えること」なんてできるはずがない。起こした行動が理性的だったか感情的だったは別として、踏み外して放り込まれた世界に冒険心が湧きたったとしたら、もう「自分を変えるための新しいこと」は始まっているのです。


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