海角七号/君想う、国境の南

(2008年 / 台湾)

ミュージシャンの夢に破れ、郵便配達のバイトをしている青年・阿嘉は、ある日郵便物の中に60年前の“海角7号”宛の手紙を見付ける。そんな中、彼は中孝介のライブに駆り出され…。

日台関係こそ真の未来志向

台湾には2度行ったことがあります。最後に訪れたのがもう5、6年前のことなので随分ご無沙汰になっていますが、それでも旅行中に現地で感じことは鮮明に記憶しています。暖かい気候、おいしい台湾料理、にぎやかな夜市など、思い返せばきりがありませんが、その中でも最も深く印象に残っているのが「違和感がない」ということです。違和感がないということは、まったく別の国に来たという実感がそれほどなく、滞在期間中を通してまだ日本にいるような感覚がしていたということ。これは台湾の隅々を見て最終的に判断した感想ではありません。空港に到着して言葉が違うことと右側通行であることがわかったら、あとはもう「日本」だったということです。

街の様子だけなら、中国(の一部)や韓国に行っても日本とそれほど変わらないという印象は持ち得ます。しかし、その街、その国が醸し出す「空気」というものは、視覚的にではなく直感的に嗅ぎ取られるものであり、それがわからない人に口で伝えて納得させられるものではありません。たとえば、イタリア系アメリカ人が、一度も訪れたことのなかったイタリアに足を踏み入れた瞬間、得も言われぬ感動に包まれたという話を聞いたことがありまする。これはイタリアにオリジンを持たない僕にはまったく理解できないことです。僕は台湾に来て感動こそしなかったものの、各地をあちこち回りながら、「あぁ、似ている」「親戚の家に来たみたい」との直感は真実であるとの確信を深めていったのでした。

何が僕にそう思わせたのかというと、やはり人です。街を歩いている人、商店の店員、鉄道の車掌、交通整理をしている係員。台湾人らしさはもちろんありますが、どこか日本人に見えてしまう。普通に日本語で話しかけても通じるような、日本式のアイコンタクトで意思が疎通できるような、そんな直感が錯覚に思えないくらい、自然と感じられたのです。2度の旅行はそれぞれ1週間ほど滞在し、台北を中心に、台南、高雄、基隆、宜蘭、蘇澳、花蓮、台東を訪れましたが、どこに行っても「似ている」という印象が崩れることはありませんでした。実際、普通に日本で暮らしているように安心・安全のうちに旅を終えることができたのです。

というわけで、僕自身、台湾の映画を観るのはこれが初めてでしたが、すべてを「自然に」受け入れることができました。カメラワークとかセリフ回しなどで、ところどころわざとらしさを感じる部分はありましたが、文化的に相容れないだとか思想的にダメだとかいうこともなく、最後まですんなり観られました。それは、物語の軸であり劇中何度か挿入される、終戦後の本土引き上げに伴う日本人男性と台湾人女性の別れを描いたシーンも含めて。「自然に」とか「すんなり」とかの根拠は、物語に起伏なく淡々と観たという意味ではなく、僕が台湾旅行中に感じた「違和感のなさ」です。戦争中の統治、被統治という歴史を互いに受け止め、そこで両国の関係が分断されてしまうことなく、過去から現在、そして未来へと連綿と続いていく。だから、日台が体験した終戦直後の別れは、現代の出会いへとつながったのです。この映画はそれを如実に描き、日台間で大勢の人の心を打ちました。

ですが、現在の政府間における日台関係は冷えきっています。中共を正当な中華国家として認めてしまっため、台湾との間で大使館を設置することができず民間による交流に留められています。台湾は今も昔も人気の旅行先のひとつですが、これまで韓流の影響で韓国を旅行をする人のほうが多かった。しかし、韓国の実態が知られるにつけ、旅行者の数は減少の一途をたどっています。まだ台湾に行ったことがない方は一度でも行ってみればわかります。韓国にはない、あの「違和感のなさ」は、互いの歴史を直視して現在を受け止めている、文字通りの未来志向に基づいているということがわかります。この映画を観て、また台湾に行きたくなってきました。


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