人生に乾杯!

(2007年 / ハンガリー)

81歳と70歳の老夫婦、エミルとヘディは年金だけでは暮らしていけず借金取りに追われる毎日。高齢者に冷たい世の中に怒りを覚えたエミルは、郵便局を皮切りに次々と強盗を重ねていく。

他人に生死の裁量を握られる恐怖

僕が中学生だった頃、家のすぐ隣に設置されていた農協の無人ATMが強盗の被害に遭ったことがあります。その日はテスト対策のため遅くまで勉強していて、家で起きているのは僕ひとり。それに、僕が生まれ育った地域はこれといった商業施設のない住宅街だったので、近所も真っ暗で誰もが寝静まっていた時間帯です。そんな中、夜中の1時頃だったか、外から耳慣れない外国語が聞こえてきました。なんだろうと思って参考書から目を離したら、突然ツルハシか何かでガラスを砕く大きな音がして、激しくて不快な金属音が続いた後、キキーッと車が猛発進していく音。それから、また近所はウソのように静かになりました。僕は怖くて外を見ることができませんでした。

しばらくして、警察が現場検証にやって来ました。僕と両親のほか、近所の人も周りを囲んでいます。見たら、ATMの入り口のガラスドアが粉々に砕かれていて、中にあったマシーンがそっくりそのままなくなっていました。犯人はその場でマシーンを破壊するのではなく、強引にくりぬいてアジトに持って帰って中身をくすねるという考えだったのでしょう。素人目にもはっきりとわかりました。その翌日、家に刑事が来て僕の話を聞きにきました。実際に犯行を見ていたわけではないのですが、それでもいちばん近い位置で犯人の動向を耳にしていたという事実は捜査を進めていく上で大きな手がかりになったはず。でもその後、捜査の結果はどうなったのか、犯人は掴まったのか、知ることはないまま事件のことは忘れていってしまいました。

このように、どんな位置関係にあったにせよ、強盗の現場に居合わせるのは恐怖を伴います。それは単に僕がヘタレだったということもあるでしょうが、訓練されていない一般人が、絶対的な悪意を持った人が非常識で暴力的な行為をしている場面に遭遇すると、誰でも腰が引けることと思います。電車の中で痴漢にあった女性がパニックと羞恥心で声を出せなくなること以上に、強盗のような凶悪犯罪を前にすると生命の危険を感じて防衛本能が働き身を竦ませてしまうからです。これに立ち向かっていけるのは、強靭な精神力と揺るぎない正義感を兼ね備えた人なのでしょうが、それをすべての一般人に求めるのは難しいかと思います。

強盗から拳銃を突きつけられることは言うまでもなく恐怖です。犯人の意に従わない限り、拳銃の引き金を引かれて殺されてしまうわけですから。自分の生死を他人の裁量に委ねられることほど怖ろしいことはありません。その他人が、たとえ80過ぎの老人であったとしても。

人生の表舞台から退場し、あとは悠々自適の生活を楽しみながらお迎えを待つ。こういう宿命を背負わされた老人が拳銃を持って各地を回りながら強盗を重ねていく。政府の年金制度ではやっていけないという事情などより、リタイアし善良な生活を送っているはずの老人に拳銃を向けられたという事実のほうがもっと怖ろしいです。しかも壮年期と比べて体力や判断力が衰えているのですから、拳銃がいつ暴発するかしれないし、弾丸があさっての方向に飛んで行くかもしれない。この映画を観ながら、僕はそういった予測不可能な恐怖を感じていました。ともあれ、これはエンターテイメントなので、恐怖というよりスリルと言い換えたほうが正しいですが。それにしても、中学生の頃、部屋の窓のカーテンをめくってATM強盗の一部始終を見る勇気を出せなかった当時を思い出しました。


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