プチ・ニコラ

(2009年 / フランス)

パパとママの会話から、赤ちゃんが生まれると思い込んだ少年・ニコラ。「弟が生まれたら自分は大事にされなくなるのでは」と不安になったニコラは、両親の気を引こうと手を尽くすが…。

子供をピーターパンをさせないために

別に自慢でもなんでもありませんが、僕は小学生の頃、学年でも1、2を争う強烈な妄想家でした(いまもほとんど変わりありませんが)。アニメやRPG、ファンタジー小説が好きだった影響であることはわかっているのですが、いわゆるファミコンバカだとかオタクと呼ばれる熱狂的ゲーマー、アニメファンだったわけではなく、現実の世界をファンタジックに置き換えて見ていた類です。いつか学校全体が異世界にワープして、生徒全員が武器や魔法を使って戦わないと生きていけないという状況になる。敵との戦いで負けたら容赦なく闇の中に吸い込まれてしまう。だから、同級生とパーティーを組んで僕も剣を手に取る。あいつは戦士で、あいつは魔法使い、そして僕は……。思い返すだけで気恥ずかしくなってきましたが、それでも当時は脳内の異世界PRGがフル回転で進行していました。妄想は自発的というより突発的に訪れてくるのです。授業中も勉強すっぽかして脳内で戦っていて、ふと気づいて友人の顔見たら「あれ、キミ、あのモンスターにやられて死んだんじゃなかっけ?」ってことが本当にありました。

これが大人になっても続いていたらさすがに医者に診てもらわなくてはならないところですが、幸いにして最低限の分別はつくようになり、なんとか人並みの生活を維持できています。とはいっても、いまでも軽い白昼夢を見ることはしょっちゅうで、あちら側に持って行かれそうになって「あ、やばいやばい」と軌道修正することもしばしば。こういうのを精神医学的に分析することなんてできませんが、小学生の頃の妄想がよほど心地良くて忘れられなくて現実逃避の口実になってしまっているとか、そもそも表層では大人を気取っていますが内面ではほとんど成長していないとかといったところでしょう。そんな自分に対して「俺は少年のような感性をいまでも維持しているから、いつまでも若さを保つことができている」なんて勘違いを本気で信じこんで誇らしく思ってさえいる瞬間に、よくハッとさせられます。

こういう大人のことを、世の中では「ピーターパン症候群」と言ったりします。「いつまでも少年の心でいたい」とか「若さという特権を失いたくない」とか、キャッチコピー的によく使われているので、別に聞いて歯が浮くほどではないのですが、もし僕がそういう言われ方をしたら断固否定します。ピーターパン症候群の本質とは、いつまでも親の庇護の下の安心して暮らしていける環境で、社会参加せず、就職せず、子供のままで過ごしていたいと考えている人のことだからです。さすがに僕はそこまで腑抜けではない(と信じたい)。少なくとも自活してお金の大事を身を持って知っているので経済破綻しないだけの蓄えと自衛策は常備しています。……なんて息巻いている時点でピーターパンなのかなぁと、軽くため息。

この映画に出てくる子供たちは、「大人になりたくない」なんて考えたことすらありません。いや、自分の両親や近所のおじさんおばさん、学校の先生以外、大人がどういうものかわからないため、大人を嫌がる理由も憧れる理由すら持たない。だから、「大人になりたくない」「子供のままでいたい」というのはロマンチストでもなんでもなく、ただの責任放棄であり精神的未成熟であることを自ら告白しているだけ。おそらく、周囲にろくな大人がおらず、自分もああなりたいという模範が見つからなかったことも原因のひとつなのでしょう。純真な子供たちを見て癒やされるのはいいですが、彼らが僕ら大人を見てピーターパン予備軍にならないよう気をつけたいものです。


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