コーラス

(2004年 / フランス)

1949年フランスの片田舎で、失業中の音楽教師が、寄宿舎に赴任してきた。素行不良で家族と暮らせない子供や親のいない子供が生活する学校で、彼は生徒たちの嫌がらせに辟易しながらも、子供たちの暗い瞳に希望を与えたいと、合唱団を結成し、歌を歌う喜びを教えることに。最初は半信半疑だった生徒たちも次第に歌に夢中になっていく。

スポ根ものに欠かせない要素とは

コーラス

手の付けられない不良や無気力の生徒たちをまとめて、ひとつの目標に向かって努力する過程で更生していく姿を描いた作品というのは、日本のみならず世界でも定番の人気コンテンツとなっています。その“ひとつの目標”というのは、スポーツ(団体競技)、音楽、演劇、学園祭の出し物など集団が結束して同じルールのもと他の集団と切磋琢磨して競い合った結果に得られるものと定義でき、反対に、書画や読書、ゲームなど個人で個人としての目標を定めて取り組むものから得られるものではないとも言えると思います。加えて、たとえ集団といってもオンラインゲームとか非同期型のSNSコミュニティーなどといった、仲間である相手の顔も素性も本名も知らずハンドルネームで呼び合って一人ひとりが別人を演じてながらなされる集団活動も、名目上は“ひとつの目標”を持っているにせよ、真の意味での「集団」とは言えません。とにかく、人々を感動させるのは、“ひとつの目標”を達成した瞬間よりも、メンバー同士のぶつかり合いや葛藤、強敵に打ち負かされた時の挫折、それに打ち勝つための克己心の萌芽といった人間味あふれる成長の過程にあるからです。

日本では、そういった底辺から這い上がって栄光を掴み取る作劇を「スポ根」としてカテゴライズしています。スポ根とは言うまでもなく「スポーツ」と「根性」を合成した造語で、主人公が努力と根性で特訓を重ね、あらゆる艱難辛苦を乗り越えて成長を遂げてライバルとの勝負に打ち勝っていくもの。代表的な作品として「巨人の星」「タイガーマスク」「あしたのジョー」などがよく知られており、主人公は少年に限らず「アタックNo.1」「サインはV」といった少女マンガ原作のものも多数あります。では、なぜ彼ら彼女らはスポ根なのかというと、そのカギはこれらの作品が生まれた年代にあります。

スポ根作品が大衆の心を捉え爆発的に支持されたのは、1960年代から1970年代の高度経済成長期。この頃は、戦後復興を成し遂げた日本が「欧米諸国に追いつき追い越せ」を合言葉に勤労に励んでいた時期であり、そうした世相こそが弱者が努力と根性で強者に立ち向かうストーリー構成を受け入れる地盤となったのです。したがって、主人公の境遇は貧困や孤児などの社会的弱者であり、ライバルはたいてい自宅に高級トレーニング施設などを完備している富裕層でした。身の程をわきまえて相手にしなければいいのではと思わないでもないですが、物語として最初の段階で完膚なきまでに叩きのめされるという因縁がきちんと付けられているため、正義という名の復讐心や名誉挽回、報復という描写が俄然必然性を帯びてくる。そうした描写が受け入れられた、というより求められた時代です。それは明らかに、大東亜戦争で欧米に破壊し尽くされた日本が、復興を経て再び欧米に戦いを挑み打ち勝とうとする日本人の願望の表れであったのですから。

さて、この映画はスポ根と言えるでしょうか。字句をたどれば、合唱はスポーツではないので厳密な意味におけるスポ根とは言えなさそうですが、孤児や素行に問題のある子供たちが一致団結してハイレベルな合唱団として名を馳せるというストーリーは広い意味でのスポ根と捉えても良さそうです。ただ、それは結果論です。貧しく恵まれていない子供が主人公という前提条件はクリアしていて、普段は教師の言うことを聞かず放埒な振る舞いばかりしている彼らが合唱でまとまって身分の高い人(伯爵夫人)に認められるという結末も十分条件です。それはいい。ですが、なにか物足りない。尺の問題なのか、ハチャメチャな生徒たちが合唱をやると言った途端、急にまとまり始めたのもそうですが、指導する教師が優しすぎたのがどうもいまいち物語に共感できない原因でした。

スポ根がスポ根たる所以、それは雑草魂の主人公に加え、熱血トレーナーの存在があってこそです。巨人の星なら星一徹、あしたのジョーなら丹下段平、キャプテン翼なら吉良監督(日向小次郎に対して)といったところでしょう。厳しければいいというわけではないですが、厳しさの中にも深い師弟愛を感じられるトレーナーの存在こそ感動の源泉だと僕は思っています。この映画の主人公のマチュー先生も厳しさを持ち合わせた人でしたが、悪いことをした生徒をかばったり何もしてないことにしてしまったりして、子供に対して甘えを許す場面が多かった。体罰など指導面でうるさくなった昨今では、こういうトレーナーは生まれにくいのかもしれませんし、スポ根自体が嘲笑の対象になりつつあります。こうした中、この映画が絶賛されるのを聞くたび、僕自身がスポ根ものを待望していることがすでに時代遅れなんだなと、ちょっと後ろめたい気分になってしまうのです。


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