ロード・オブ・ウォー

(2005年 / アメリカ)

ウクライナから移民としてアメリカへ渡り、武器の密輸商人となったユーリーがたどる衝撃の運命。ソ連の崩壊により、余った武器を、アフリカの独裁国家などに横流しするユーリーを、インターポールの刑事ジャックが追跡。そこに、ユーリーの妻や弟との悲痛なドラマが絡んでいく。

死の商人は鉄面皮で物を語る

ロード・オブ・ウォー

武器商人とは、その字義通りに定義するなら武器を売る商人のことですが、武器弾薬を販売することで戦争によって私利を図ることから「死の商人」とも呼ばれており、こちらのほうがその本質をより捉えていることから通りがよいのではないかと思います。それも、この“私利”というのがクセモノで、利益になるのであれば敵味方を問わず兵器を販売するスタンスを取るため、戦争が長引かせたり、第三者が介入させて対立構造が複雑化したり、ゲリラ組織に武器を横流しして和平交渉を中断させたり、ドンパチの背後で工作を張り巡らせたりします。しかも、こうした死の商人たちは、各国の政府上層部や諜報機関と深い関係があるため、武器売買の行為を暴くことは自国の暗部の行為を暴くことになってしまうのであまり摘発されないという問題点も抱えています。死の商人の暗躍により、紛争当事国やテロリスト、第三諸国(アフリカ、中東諸国)にも武器が行き渡るようになり、少年兵や犯罪者が手軽に銃を手に取れる状況をつくり出しているのです。よくニュースで身の丈以上の銃を抱えたアフリカの少年の映像を見かけますが、この背景には死の商人の存在があるからだと見て間違いないでしょう。

「死の商人」と聞くと、一般にロッキード・マーティンやレイセオン、ボーイングなどの米企業が思い浮かびますが、実際はどうでしょう。19世紀から冷戦期にかけて、武器の生産、販売元はアメリカ合衆国やソ連、フランスなどの国が中心で、冷戦時においてもこれらの国の政府や企業が直接当事者・当事国に販売するケースが多かったのですが、冷戦終結後は豊富な資金源のある個人が武器商人の中心になってきているとのことです。そう言えば、日本の幕末期において、薩摩や長州といった西南諸藩を主な武器取引相手としたトマス・グラバーがいましたし、宣教師フランシスコ・ザビエル来日も武器売買の一環であったと言われていますので、個人としての死の商人は最近になって生じたものではないことがわかります。いや、むしろ個人のほうが歴史的に幅を利かせていたのかもしれません。ともかく、死の商人たちは世界中のきな臭いところに必ずいて戦争をつくりだしています。そうしないと、彼ら自身が滅んでしまうからであり、戦争を行っている当事国の無辜の民が泣こうが死のうなんて気にもかけていないのです。

この映画は、主人公ユーリー・オルロフが、かつて戦場だった国に残された米軍の中古武器を途上国の紛争地帯に横流しすることで巨万の富を得、「死の商人」として世界中から引く手あまたとなる人物を描いた作品です。実在の人物をモデルにしているとのことでそれなりのリアリティはありました。人権も何もないアフリカの紛争地帯の大統領のニーズに応え続け銃を売るユーリーは、ビジネスマンとしては有能なのでしょうけど、仕事がうまくいけばいくほど人間味のないただのセールスマシーンへと変貌していきます。彼と対照的に描かれているのが弟のヴィタリーで、ヤク中でユーリーの成功を英雄視していたものの、実際に現場でユーリーが売った銃で無実の難民が殺されていくのを見てユーリーに翻意を促します。しかし、ユーリーはヴィタリーに、迷惑そうな表情を浮かべるだけで否定も肯定もしません。もう行くところまで行ってしまった諦めなのか、断ったら殺されるという恐怖からか、それともユーリー自身殺戮が異常であるという感覚が麻痺してしまったからなのか。僕はこの時のユーリーの表情にこそ、死の商人の資質が現れていると感じました。

投げ捨てたバナナの皮で誰から滑って転んでケガをしたなら、それは単なる偶発的な事件と言えるのかもしれませんが、自分が売った銃が何に使用されるかを想像できないほうがおかしい。儲けたお金の分だけ人が殺されているという事実を、死の商人は言葉ではもちろん、表情に出すことも決してしないのでしょう。


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