ロスト・イン・スペース

(1998年 / アメリカ)

宇宙空間を旅するロビンソン一家。彼らの任務は、滅亡の危機にある地球住民のため、新天地にコロニーを建設することだった。しかし何者かの妨害工作によって人工冬眠から揺り起こされた一家は、トラブルメーカーのロボットともども、時空を超えた驚異のアドベンチャーに巻き込まれてしまう。

科学は究極のエンターテイメント

僕が小学生の頃、学研の「学習」と「科学」という月刊誌がありました。学校でテストの点数を上げるための問題集ではなく、国語や算数、理科などに対する興味をもたらすための学習補助的な雑誌だったと記憶しています。販売スタイルは、本屋などで店頭販売するではなく、学研のおばさんなる委託販売員が購読者宅に直接届けるというもの。うちでも、いつの頃だったか購読するようになり、最初のうちは「学習」と「科学」両方とっていたのですが、最終的には「科学」のみを取るようになりました。

なぜ「科学」だけにしたのか、理由は覚えていません。ただ、当時は国語や社会の文系科目より、理科・算数の理系科目ができるほうがインテリだったし(小学生の発想ではカッコいい)、それに学研の目玉である付録がイカしているからという理由に過ぎなかったと思います。この「科学」の付録はなかなかに面白く、特に水をいれるだけでミジンコなどの微生物が発生してくる水槽などは小学生垂涎の的でした。雑誌の方はあまり熱心に読んだことはなかったのですが、この付録だけはよく遊んだ(勉強のためでなく)ことを覚えています。

ですが、僕はその後、科学少年にはなりませんでした。逆に、理科数学大嫌いの典型的文系に育っていきました。いえ、そもそも僕は小学生の頃から、「科学」を購読していた頃から理系分野には興味を持つことありませんでした。学校の授業で理科の実験をするとなると面倒に感じたし、家で父親がNHKの科学特番などを見ていても僕はちっとも面白いと感じませんでした。中学生となり、「科学」を取らなくなってから、僕と科学を結ぶ縁はぷつりと切れたのでした。

というわけで、その後、僕にとって科学と接点を持つときは、学問ではなくエンターテイメントのみとなりました。エンターテイメントとは要するに、タイムスリップして過去の自分をやり直したり、人型ロボットが音速で飛行したり、宇宙戦艦同士が大砲を打ちまくって戦争をすることが可能な世界。アニメや映画の世界ですね。人生におけるいい年になった今でこそ、心と心がぶつかり合う人間ドラマをよく見るようになりましたけど、10代20代の頃はこうしたエンターテイメントをお宝探しみたいに手当たり次第探しては面白く観ていたものです。

この映画はそんな若かりし僕を思い出させてくれるような作品でした。精密な科学考証なんてなくたって、宇宙船と時空ワープとタイムスリップと未確認生物が出てくれば立派な科学(僕にとってのエンターテイメント)。ストーリー的によくありがちな、未知の空域に紛れ込み、とある星に辿り着いたものの強大な異星人と戦闘が勃発。大ピンチに陥るがなんとか勝利し地球に帰還して終了、というマンネリに陥らず、ただでさえハラハラドキドキなのをベタなハッピーエンドで終わらせなかったのは上出来。また、家族間の時空を超えた邂逅の場面では思わずウルッときてしまいました。

中学以降、たしかに学研の「科学」は読まなくなったけど、それで縁が切れたのではなく、僕と科学の縁はこうして形を変えて継続しているんじゃないかなと思います。それが現実的な科学か、サイエンス・フィクションとしての科学かの違いはありますが、僕から科学を排除しないことは想像力や空想力を持ち続ける上での大きな動機付けになっているのではないかと思っています。


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