水曜日のエミリア

(2009年 / アメリカ)

既婚者の上司と恋に落ちたばかりに、不運の連鎖に見舞われることになった新人弁護士・エミリア。悲しみに暮れながらも、彼女は自力で新たな道を歩み始める。

恥ずべき行為を顧みない者に幸福は訪れない

この映画のキーワードとなっている「SIDS」とは、乳幼児突然死症候群(Sudden Infant Death Syndrome)の略であり、それまで元気だった赤ちゃんが眠っている間に突然死亡してしまう病気とのこと(病気かどうかで異論がある)。日本での発症頻度はおよそ6,000~7,000人に1人と推定され、生後2ヵ月から6ヵ月に多いようですが、注意しなければいけないのは原因がまだわかっていないということです。うつ伏せで寝かせていたとか、側で喫煙していたとか、いろいろ可能性を探っている段階ですが、決定的な予防策というのは見出されていないようです。だから、ギャーギャー泣いてピンピンしてた赤ちゃんが、ある日突然何の前触れもなく突然呼吸停止し死亡してしまうというのは、家族にとって青天の霹靂以上のショックな出来事であることは理解できるし、もし自分がそうした親の立場になったら立ち上がる力を失うどころか再起不能の人間不信に陥ってしまうであろうことも想像つきます。家族に亀裂が生じることなく、この子のためにも精一杯生きていこうと前向きに考えられる人たちというのはそうはいないはずです。

主人公のエミリアは、弁護士の先輩であり妻子あるジャックと不倫の末、妊娠し結婚。ですが、生まれてきた赤ちゃんのイザベルはたった3日で亡くなってしまいます。その悲しみと絶望感を引きずりながら、エミリアはジャックと前妻キャロリンとの間の息子ウィリアムを学校まで送り迎えにいきます。ただ、毎日というわけではなく水曜日だけ。迎えに行く日は他の父兄から白い目で見られるし、キャロリンに突っぱねられたりと幸せな家族を演じる幕はひとつもない。そんなストレスの溜まる毎日の中、ついにエリミアは背負い込んできた罪悪感をジャックに伝えます。それは、イザベルが亡くなった理由。ずっとSIDSで通してきたけど、実はイザベルは私が殺したの……。

ここからストーリーは転換点を迎えるわけですが、それまでの生活が仮に幸福だったとして、エミリアの告白以降が不幸の始まりだったという捉え方は、どうも日本人の私には理解できません。というのも、既婚男性の生活を奪っておいて、妻がいながら若い女を妊娠させておいて、「略奪愛」から生じた不倫結婚を同僚から拍手喝采で祝福されたのち、責任を放棄した好き勝手な生活を貪っておいて、いまは不幸だなんて感性はちょっとわかりませんね。これが文化の違いと言ってしまえばそれまでですが、アメリカでは離婚された一方が元配偶者の不倫相手に慰謝料を請求できないという事実が、個人の自由を最大限に保証していることを象徴に示していると思います。なにせ、不倫に走った時点で結婚生活は破綻していたとみなされるとのことですから。要するに、たとえ夫が不倫して家庭を崩壊させても、責任は夫のみにあるのではなく、その原因を作った双方にあるとの解釈が成り立つのです。たしかに、アメリカという国は日本とは違う考え方を持った国ですが、人間性が根本的に異なるということはあり得ないわけで、エミリアの立場に100%賛同するということにはならないはずです。もちろん、人それぞれ生き方は違うし、時には周囲の反対を押し切ることもあっていいのですが、赤ちゃんの死因で揉めて仲違いするんであれば、その遠因となった彼らの奔放すぎて子供じみた不倫行動を恥じるシーンがあってもいいかと思いましたが、一切ありませんでした。それなら、神様が彼らからイザベルを奪った理由がわからないでもありません。


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