メン・イン・ブラック

(1997年 / アメリカ)

ニューヨーク市警の若手刑事エドワーズは、黒のスーツに身を包んだ男、“K”にスカウトされ、最高機密機関MIB(MEN IN BLACK)の一員となる。過去を抹消され、名前もただの“J”になった彼は、現在地球上に、約1,500ものエイリアンが人間に姿を変えて生活している事を知る。

虫嫌いにとっての正義の味方とは

メン・イン・ブラック

僕は虫が苦手です。苦手というより恐怖していると言ったほうが近いほどで、あの胴体から飛び出た数本の足がうにゅうにゅ動いているのを想像するだけで背中に激しい悪寒が走ります。特に苦手、いや怖いのがバッタ。あの細長い胴体でピョンピョン跳ねまわっているのはまさに恐怖で、彼らに遭遇する可能性の高い夏場の草むらは僕にとって地獄であり、実際そういうシチュエーションになったとき、恐怖で血の気が引いて卒倒しかけたことがあります。だんだん気分が悪くなってきたのでこのへんでやめときますが、とにかく僕には、昆虫採集に夢中になった子供時代なんてなかったし、高校の生物の授業に胸をときめかしたことはなかったし、殺虫剤を常備しておく生活をしなかったこともありません。昆虫図鑑は悪魔の書だといまでも思っています。

ではなぜ僕が虫に対してこうした悪感情を抱くのかというと、それは単純に「気持ち悪いから」です。ヒトは自らの姿より遠い姿に違和感を感じるという発生学上の一説に基づけば、鳥や動物に見てその姿に嫌悪感を抱くことよりも、昆虫に対して恐怖を感じるというのは納得できる話です。しかし、人間は人それぞれなので、鳥が怖い動物に触りたくないという人もいれば、昆虫博士と言われるほど虫が大好きという人だっているわけです。一般的に、ゴキ○リやクモは悪魔の使いのごとき扱いですが、逆にカブトムシやクワガタは子供たちのヒーローであったりします。というわけで、単に生物学上のムシ全般を嫌う僕のようなタイプは、虫それぞれが持つ個性をすべて吟味した上で嫌っているというより、虫そのものを何らかのメタファーとして捉えている傾向にあるのではないかと考えられます。暗くジメジメしたところに群がることから陰気者だとか、汚物にたかる性質から変質者だとかいった具合に。

ところで、心理的な現象というのはたいていそうらしいのですが、何か特定のものに対して一定の反応をしてしまう原因は、幼少期の経験に基づくことが多いとのことです。僕の場合、明確な記憶があります。小学生低学年の頃、友人がバッタを捕まえてきてはやっていた仕打ち。詳細は話せませんが(僕自身の精神安定のため)、そのイメージがあまりに強烈でトラウマ化し、以後、「超」がつくほどの虫嫌いになってしまいました。それはいまに至っても克服するに至っていません。原因がわかっている以上、精神科医に相談すれば少しは改善するのでしょうけど、いまさら虫と仲直りする必要すらないので、一生虫とは分かり合えない生活を続けていくことになるのでしょう。

というわけで、この映画はキツかったです。ストーリー的には、宇宙からの侵略者を撃退するという単純極まりないものなのですが、その侵略者というのが虫なのです。その虫が人間の体を乗っ取って地球上を闊歩している。しかも、ゴキ○リに似た(おそらくそのもの)虫が母体になっているようで、見せ場のシーンではうじゃうじゃ出てきます。僕は虫を見てじんましんが出るほど敏感ではないですが、自分の体に虫が取り付いたり乗っ取られたりされるのをつい想像してしまい、例の激しい悪寒が背中を走るとともに胃の腑が破裂しするくらいの吐き気を感じてしまいました。ただ、それでも安心したのが、この映画で描かれているように、虫は人間によって恐怖や嫌悪の対象であるということ。僕が特別神経質なだけで、虫嫌いというのは人類共通の感情なんだと。その安堵感とともに、映画のクライマックスで虫を撃退するシーンを見てほんのちょっとカタルシスを得られただけでも、この映画を観た価値はあったと感じました。


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