ミックマック

(2009年 / フランス)

ビデオショップで働くバジルは、ある日発砲事件に巻き込まれる。一命は取り留めたが頭に流れ弾が残り、仕事も家もすべてを失ってしまう。そんな彼の前にユニークな特技を持つ仲間たちが現れ、廃品に囲まれた工場のような家での不思議な集団生活が始まる。

殺陣だけが仇討ちじゃない

「仕返し」って言うと、日本人だったら条件反射的に「仇討ち」のことを思い浮かべると思います。「忠臣蔵」に代表されるように、自分が仕える主君、または所属する組織を不当な手段で貶められたとしたら、燃え上がる怒りを臥薪嘗胆して抑えながら時宜を待ち、いざ好機到来という時に一気に積年の恨みを爆発させて本懐を遂げる。そんなストーリー、日本人なら誰もが登場人物に感情移入し、心震わせながら画面に見いってしまうことと思います。僕もそうです。忠臣蔵などの時代劇ではもちろんのこと、最近ではドラマ「半沢直樹」で倍返しをするシーンでも同じような気持ちになります。ドラマは視聴者(日本人)を引きつけるために演出を付けるわけで、どうしても仇討ちへとつながる因縁付けがわざとらしかったりすることもあるのですが、それもそのはずです。なぜなら、そうやって劇画チックにしてしまっても、視聴者が食いついてくれてクライマックス(仇討ち)まで引っ張れればいいわけですから。面白い作品を世に出し続けている脚本家や演出家というのは、たいていこのへんの匙加減が上手な人たちなのでしょうね。

ところで、なぜ日本人は仇討ちのストーリーが大好きなのでしょうか(仇討ち好きは日本人に限りませんが、ここでは日本人らしさを問いたいと思います)。単純に勧善懲悪が好きだからでしょうか。悪の手先が善良な市民の生活を妨害する中、無力な市民に代わって正義の味方が悪を懲らしめる。ウルトラマンや仮面ライダーなど、子供向けの戦隊もののの王道パターンであり、それでいて水戸黄門や遠山の金さんなど定番時代劇における普遍のテーマといえるものでもあります。「子供だましだ」と冷笑する向きもあるでしょうが、誰もが納得する理由ではあるでしょうね。あともうひとつ。それは、悪事を働いたものの正義の味方に懲らしめられて改心するという例。水戸黄門の印籠は権威ですが、あの時代は権威こそが人を照らす威光であり、印籠をかざせば悪人も心を入れ替えたのです(実際は打首でしょうけど)。観てる人は、悪を懲らしめても彼らの将来を思ってとどめを刺さない正義の味方に感服するのですが、それ以上に、悪人が悪事を悪であると見つめ直し、改心してまっとうに生きようと心を新たにするくだりにより感動を覚えるのではないかと思います。中にはますます悪事を重ねる恩知らずもいますが、実際の社会でもそうあってほしい、あるいはあるべきだという願望がどの民族より強いのではと思います。

この映画もどちらかと言えば、仇討ちというジャンルに当てはまるとは思いますが、それでも日本人が抱いている仇討ちのイメージとは明らかに異なっています。日本人が言う仇討ちには、怒り、忍耐、忠義などの概念が必須となりますが、この映画では「イタズラ」のひと言で片付いてしまいます。もちろん、フランス人に日本的な仇討ちの考え方がないとか、フランス人は理不尽なことがあったらイタズラで溜飲を下げるなんてことを言いたいのではなく、こういう映画だから別に深く突き詰めることはないということです。ただ、そうは言っても、そのイタズラをやったらやっただけで終わるのではなく、ちゃんと主人公の救済があり相手側の改心が見受けられないと、日本人としてというより、仇討ちものが大好きな僕としては収まりが悪いのです。

結論から言うと、この映画はコミカルな描写が満載の中にも、善人と悪人、支配者と被支配者、社会の頂点とその他多数などの区分けがきちんと描かれていて、とてもよくできた映画だと感じました。フランス映画らしい絵本のような可愛らしい人物描写に、コミカルでありながら皮肉もたっぷりと効いたストーリー展開、そしてハリウッド的な一方通行にならない予測不能の結末。これだから僕はフランス映画が好きなんだと言える作品でした。懸案の仇討ち後の処遇うんぬんも含めて。


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