マイノリティ・リポート

(2002年 / アメリカ)

2054年のワシントンDC。犯罪予防局の刑事ジョン・アンダーソンは、予知能力者・プリコグの透視により、次々と犯罪を未然に防いでいた。ところがある日、プリコグが透視した犯人の名がジョンだったことから、彼は予防局に追われる立場に追い込まれる…。

占いに従って幸せになれますか

マイノリティ・リポート

「新宿の母」というのに代表されるように、よく当たると評判の占い師がそこらかしこにいて、恋愛や仕事などの運勢を占ってもらうために長蛇の列を作るとか、場合によっては数か月待ちなんていう話を耳にします。本当に当たるからなのか、はたまたメディアで大々的に取り上げられたからなのかはわかりませんが、僕は自分の人生を知るために占い師を訪れたこともなければ、占ってもらおうと思ったこともありません。朝のテレビでスポット的に流れる「本日の運勢コーナー」とか、ネットで簡単に知ることができる血液型占いとか十二星座占いなどは冷やかし程度に見るくらいで、本気で信じることはしません。ずいぶん前にはやった動物占いは当たってるなー、と感じましたが、それも傾向でしかないと割り切って妄信はしませんでした。それでも、初詣のおみくじの結果で一喜一憂することはありますが、ああいうのはたいてい凶でも大吉でもいいこともよくないことも書いているので、凶が出たからといって一年を絶望のうちに過ごすなんてことは考えないほうがいいのです。スマホゲームのガチャと一緒です。

とはいえ、引っ越しとか転職とか、環境が変わるときには、方位を犯していないかとか相性はどうなのかとか、専門家(つまり占い師)に相談したほうがいいのだろうかと思うことがなくはありません。本当は、自分自身で選択した環境というのはまったくの見当違いで、なにをやってもうまくいかない、出世できない(実話)という人生になってしまっている。でも、占い師にお伺いを立てて、方角だったり仕事内容、人付き合いについてアドバイスをもらい、それに従っていけば運気はうなぎ登りに上昇し、よりよい生き方をエンジョイすることができる。なんていう感じです。たしかにそうなのかもしれません。実際、方角や字画などはその人の人生を決めるうえでの決定的な要素になることがあるようですし、占いの通りにしたら悪運を払い除けられた話もよく聞きます。新聞や週刊誌の広告でそういう体験談を目にすると、もしかしたら僕は損な人生を送っているのかもしれないと焦ることもあります。でも、それはきりがないこと。たとえ運勢が変わった、向上したと実感しても、まだまだツキは回ってくると欲望はどんどん増していくものだからです。

おそらく、この人間の欲望という観点からの運勢向上欲は、どんなに技術や生活環境、人類の知能が進化しても抑えることはできないでしょう。いや、むしろ、占いという非科学的でスピリチュアルな側面に頼り切るという傾向が生まれ、特定の能力を持った人(占い師)のステータスが限りなく向上していく一方、頼る側は自らの人生の方向性を他人に決めてもらうということが一般的となってしまうことが考えられます。もし本当にそうなったとしたら怖ろしいことです。人々が占いを盲信するあまり、占い師は依頼人の足元を見ることを躊躇しなくなり、人々は現実を打開する意欲を失い、技術の進歩は途端にストップする。人間が賢くなったら犯罪はなくなるというのは思い込みであって、考えることをやめることで脳が退化し、誰に対しても敵対的になって社会は平和とは真逆の方向に舵を切り始める。現在では「占いは気休めにすぎない」と割り切っている人がまだまだ多いからこそ、救われている面もあるということを見逃してはいけないのです。生活苦でいかがわしい宗教に走ったり、国家自体が特定の思想で政治が動かされるケースもあるわけですから。

この映画では「未来予知」がテーマですが、現在でいう占いと同じようなものでしょう。プリコグという未来の犯罪を予知できる3人が登場しますが、彼らも絶対確実に一致した未来を予知できるわけではなく、異なった未来を提示するケースもあります。怖いのが、それを「マイノリティ・リポート(少数派意見)」と、“レアなケース”として処理してしまうこと。都合の悪い案件は闇送りにして、強引に政治決着させてしまう現代社会とそっくりじゃないですか。つまり、どんなに人間が完璧に近い予知能力を備えたとしても、人間は所詮人間、占いなんてそっちのけで個人的な欲望に従って行動してしまう生き物ということですね。


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