ミスター・ノーバディ

(2009年 / フランス・ドイツ・カナダ・ベルギー)

2092年、科学の進歩で人間は永遠の命を持つようになっている。そんな中、118歳の主人公ニモは唯一の「命に限りある」人間だった。誰も彼の過去を知る者はいない。死を目前にした彼は、医者の催眠やインタビュアーの質問を通じて自らの過去を回想していく。

覆水盆に返さないための覚悟

太公望が周に仕官する前、ある女と結婚していましたが太公望は仕事もせずに本ばかり読んでいたので離縁されてしまいました。ところが、太公望が周から斉に封ぜられ、顕位に上ると女は太公望に復縁を申し出ます。すると、太公望は盆の上に水の入った器を持ってきて、その器から水を床にこぼし「この水を盆の上に戻してみよ」と言いました。女はやってみますが当然のことながらできません。太公望はそれを見て「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻ることはない。それと同じように私とお前との間も元に戻ることはありえないのだ」と言って復縁を断りました。この中国の故事から「覆水盆に返らず」という成句ができたことはあまりに有名ですね。この「一度してしまったことはもう取り返しがつかない」という意味合いの慣用句は、英語にも「It is no use crying over spilt milk.」というセンテンスがあるため、世界的に共通なのでしょう。これと似たような「後戻りができない」というニュアンスの慣用句で「賽は投げられた」「ルビコン川を渡る」というのがありますが、こちらからは決意というか前向きな姿勢が伝わって来るのに対し、「覆水盆に返らず」はどちらかと言うと諦めとか投げやりといったネガティブな面が強いように思います。もうどうにでもなれ、あとは運を天に任せるしかない、という感じに。ただ、やってしまったことは終わったことと割り切り、気持ち的にはどうあれ次へ向かおうとしている点では同じと言えそうです。

ともあれ、もちろん反省は必要ですが、やってしまったことに対していつまでもクヨクヨしていることは精神衛生的に良くありませんし、人生を損することにもつながります。若い頃はそんなことの繰り返しなので、失敗を怖れて石橋を叩いて渡るスタンスはむしろかなぐり捨てたほうがいいかもしれません。とは言え、結果を結果として捉えることは当然ですが、なぜそうなったのか原因を探りだして解決への糸口を見出す努力は必要です。そうでないと、上司から大目玉を食らい続けるだけでなく、しまいには無能の烙印を押されて最悪、組織から追放されてしまいます(僕のことです)。たとえ結果的に散々だったとしても大失敗に終わったとしても、そこに至ったルートを単純に遡っていって「あそこでこうすればよかった、あの時ああすればよかった」と未練を垂れ流すだけでは、いつまでたっても人間的に成長することはできません。原因にまで遡ったら、そこから自分がたどったルートとは別の選択肢がある可能性を探りだす習慣を付けておくことで、次からは手を付ける前にアイデアをもっとうまく整理できるようになる。社会人なら誰もで心得ていることではありますが、水をこぼす前に床に受け皿を用意しておこうと言っているのではなく、こぼすにしても最小限に留める方策を考えながら進めていきましょうということです。失敗を取り戻すにしても、床にこぼれた汚れた水を必死で掬いあげたところで、それは取り戻したことにはならないのですから。

この映画は、主人公ニモが、こぼれた(こぼした)水を元の器に戻そうと記憶をたどっていく話です。ニモは冷凍保存されて解凍された後の未来にいて、死という概念がなくなったその世界で、「命に限りのある老人」となっています。まさに死に臨もうとしている中、世間の注目の的となったニモは、医者の催眠やインタビュアーの質問を通じて自らの過去を振り返ります(ここで重要なのは死に臨んだニモの回想という点)。ニモは3通りの過去を語りました。3通りになった分岐点となったのが、9才の頃、父と母が離婚するに及んでどちらについていくかという選択を迫られた時。父あるいは母を選んだことで、ずっと憧れだったエリース、母の再婚相手の連れ子アンナ、意中の人でなかったアジア系のジーンという3人の女性が絡むストーリーが展開されていきます。それぞれのエピソードが個別かつストレートに進んでいくことはなく、さまざまな場面で入れ替わりニモをして「こんなはずじゃない」と狼狽させます。ただ、その3つのエピソードは別々のものではあるのですが、時折、一方からもう一方へとねじ込まれる形で相関関係が生まれる瞬間があります。それは因果関係といった論理的に説明のつくものではなく、完全に偶発的なこと。このほんのちっぽけなことが、それぞれのエピソードにおけるニモに致命的な影響を及ぼしていく。「こんなはずじゃない」ニモの人生という器からこぼれた過去は、元の器に戻ることができるのか。そして、どのエピソードがニモの本当の過去だったのか。じっくり鑑賞して味わってほしいですね。

なお、僕の感想ですが、僕がいま現在に至っている経緯はすべて僕自身が選択した結果であって、なにも成り行きや神の意志などで不可抗力的に決められたわけではないということ。ろくに考えもせず何となく選んだ道も、言うまでもなく自分自身で選択した結果なのです。人生にパラレルワールドというものは存在しません。だから、「あそこでこうすればよかった、あの時ああすればよかった」という未練に基づいた架空のエピソードを追い求めてしまうのは、こぼれて泥まみれになった水を掬い上げようとすることに他なりません。こう考えてみると、「覆水盆に返らず」という慣用句からは非常にストイックなニュアンスが感じられます。やってしまったことは取り戻せないということは、自分の選択したことを自覚し責任を持てということなのですから。とは言え、誰だってニモの気持ちはわかるし共感できると思います。人間は神ではないので、後悔のない人生なんて送れるはずがないからです。


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