ミュンヘン

(2005年 / アメリカ)

1972年のミュンヘン五輪。パレスチナ人ゲリラが11人のイスラエル選手を人質にとる。結局、人質は全員死亡。その後、イスラエル側による報復作戦が発動し、暗殺グループとして組織された5人の工作員が、事件に関与したとされるパレスチナの重要人物を次々に暗殺していく。

報復の連続性と仇討ちの不連続性

ミュンヘン

1948年のイスラエル建国宣言以降、イスラエルと周辺アラブ諸国との間では数えきれないほどの戦闘が繰り広げられています。イスラエル建国は、かつてその地に住んでいて、いまはパレスチナ自治区と呼ばれる区域に押し込まれているパレスチナ難民をはじめ、当時の列強と国連の事なかれ主義による取り決めにより、聖地(エルサレムはキリスト、ユダヤ、イスラムの聖地であるが)を異教徒(ユダヤ人)に奪われたアラブ人の強い反発を招き、解決はおろか妥協の余地すら見出だせていないのが現状です。4次にわたる中東戦争をはじめ、暗殺、空爆、爆弾テロ、サイバー攻撃など、互いが互いを憎しみ合い、どちらかが一方を排除しない限り終わることのない負の連鎖は、いまもその環をつなぎ続けています。今年7月に起こったイスラエル軍によるガザ地区空爆もその一環であり、現在のところ停戦しているとはいえ予断を許しません。

では、なぜ彼らは戦いを終わらせることができないのか。それは歴史的な経緯や地理的な結びつき、宗教の教義などを深く突き詰めていくことで原因を探ることはできると思うのですが、簡単に言ってしまえば「向こうから仕掛けてきたんだから報復するのは当たり前だ」という思念の上で行動しているからだと考えることができます。第二次大戦後、国連を中心に国家間の紛争を話し合いで解決しようとする試みが行われてはいるのですが、実際の国際政治でモノを言うのは結局のところ力なので、小国の利権は大国に踏みにじられ、大国は大国同士で縄張り争い・権益争いという綱引きを水面下でやり合っているため、大国は表向きの平和的手段である外交力を担保する軍事力を高めていくことで、大国であり続けようとするのです。そこに「譲歩」という二文字はありません。これまでのパレスチナ問題では、イスラエルとアラブ諸国は互いに譲歩を示すポーズをするだけで、結局泥沼の紛争が再開されるという報復の蒸し返しをしてきたことからも明らかです。

ところで、この「報復」という言葉ですが、日本人が大好きな「仇討ち」とは違うのでしょうか。辞書で調べてみたところ、報復が仕返しをすることで、仇討ちが自分の主君・父などを殺害した者を仕返しに殺すことだそうです。双方とも「仕返し」という表現で定義されているので、動作の結果としては同じことなのでしょう。ただ、ニュアンス的には、報復が私的な怒りや憎しみを伴うもので、仇討ちのほうは主君の無念を晴らすとか正統性のある大義に報いるといったように思われます。物は言いようと言ってしまえばそれまでですが、忠臣蔵を仇討ちでなく報復とするとそれは絶対に違うと思うのと同時に、パレスチナ問題を報復ではなく仇討ちであるとするのも違和感があるわけです。それはもちろん、僕が日本人であって忠臣蔵にはシンパシーを感じているのに対し、パレスチナ問題は遠い海の向こうのことであって実感がないことよること大だとは思うのですが。ともかく、仇討ちは幕府からの許可のもとで行われ一度きりのものでしたが(ヨーロッパにも決闘というのがあった)、一方の報復は認可制などであるはずなく、その連鎖は際限なく繰り返されていくものなのです。

さて、この映画のストーリーは、1972年のミュンヘンオリンピックでパレスチナ人ゲリラ「黒い9月(ブラック・セプテンバー)」が11人のイスラエル選手を人質にした上で殺害した事件の後、イスラエルの5人の工作員が黒い9月のメンバーを暗殺していくという実話に基づいています。では、監督のスティーブン・スピルバーグはこの映画を通して何を訴えたかったのか。イスラエル・パレスチナどちらにも肩入れせず中立的に描いたという触れ込みで、ユダヤ人であるスピルバーグが完全に中立であったとは考え難いのですが、イスラエル側の視点ながらも「どちらが悪い」という描き方はしていません。ただ、どちらに正義があるという描き方もしていないので、暗殺を請け負ったイスラエル工作員たちの行動はあくまでも暗殺であり、「仇討ち」として観られるものでもありません(イスラエル人が観たらまた違うのかもしれないけど)。

僕にはスピルバーグの真意は図りかねますが、この映画について少なくとも言えることは、これまでイスラエルとパレスチナが繰り広げてきた報復の歴史の一部分を切り取っただけにすぎないということ。パレスチナ人がイスラエル人を殺し、その報復としてイスラエル人がパレスチナ人を殺した。では、次に何が来るでしょうか。言うまでもなく、パレスチナからの報復です(ただ、事はそう単純でなく、両陣営内部での猜疑心から仲間同士での証拠隠滅行為があったりするのですが)。その証拠として、僕たちは今現在もテレビを通して彼らの報復行為の続編を観ているではないですか。おそらく、近いうちにパレスチナ和平が成立することはまずないでしょう。主人公のアヴナーはパレスチナ人暗殺行脚の中、心身ともに耗弱し、イスラエルに戻ってからも誰かに狙われている恐怖に苛まれアメリカに移住しました。そのアヴナーの絶望感こそ、スピルバーグの本心なのかもしれません。


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