マイ・ビューティフル・ランドレット

(1985年 / イギリス)

ロンドンを舞台に、パキスタンからやって来て父親と暮らす青年と偶然再会した幼馴染みに友情以上の想いが芽生えていく。

許されない関係が成就するプロセスとは

この映画は、パキスタン系でロンドンに住む青年オマールが、友人であるイギリス人のジョニーとコインランドリーの経営を成功させ、ジョニーとの男同士の恋情を深めていくという話。しかし、特にビジネス要素があるわけではなく、旧宗主国と旧植民地との溝は埋まらないながらも、社会的立場が逆転したオマールとジョニーの密な関係を描くことにスポットを当てた作品です。国同士では慣習的な上下関係が存在すれど、個人単位ではそれを覆すことができ、どんな階級、人種、性別でも愛し合えるというメッセージを伝えたかったのだろうと何となく感じましたが、単純なラブストーリーと捉えるより、別の側面に気づくべきなのではという思いを強くしました。それは「移民」という概念。「出生あるいは市民権のある国の外に12カ月以上いる人」と国連が定義しているように、居住地以外の国から来て生活している人のことで、要するに定住している外国人のこと。昨今、ヨーロッパで安い労働力としての移民に仕事を奪われたり治安が悪化するなどして問題になっており、日本でも同様のことが騒がれています。

そもそもなぜ移民が発生するのかということです。送り出す国と受け入れる国、双方に意図があるから発生するわけですが、送り出す国は治安の悪さや生活水準の低さ、移民がもたらす送金、失業率の改善、受け入れる国には少子高齢化による労働力不足など。そうした民族の移動において、旧植民地から旧宗主国への移動が多いといいます。ヨーロッパが特にそうなのですが、北アフリカ(モロッコ、アルジェリアなど)からフランス、パキスタン、インド、スリランカからイギリスなどがあります。理由としては、言語の一致や文化的な結合、留学生の受け入れ援助などのメリットがあるからとのこと。そう言えば、フランスのサッカー代表では、ジダン、マケレレ、アンリといったアフリカ系の選手が多く、ワールドカップでテレビ観戦していると黒人ばかりで本当にフランスなのかと錯覚することがよくあります。また、イギリスではインド系の移民をよく見かけます。ロンドンに行ったことがありますが、チェックインしたホテルのフロントマンがターバンを巻いたインド系でしたし、滞在中、街中でも見かけない日はなかったほどです。

ところで、フランスとイギリスでは異なる移民政策を取っていました。フランスは同化主義で、人種や出身地、宗教に関わらずその社会の守るべき原則を遵守・適合させることとしています。だから、イスラム教徒の女子学生が学校でスカーフを身につけるのは、公共の空間における中立性が損なわれるとして問題となりました。一方のイギリスは多文化主義。戦後、旧植民地から多様な移民が集まってきて、それぞれのコミュニティが形成されました。そこから生まれたのが、移民のアイデンティティを保護しつつ、異なる文化が共生できる社会をつくるべきだという考え方です。ところが、双方の政策は失敗に終わります。フランスにおいては政教分離を根本とするムスリムとの対立、イギリスにおいては白人と黒人という人種の壁がそれぞれ要因となったのです。そもそも移民で成り立っている国の代表であるアメリカにおいてさえ、さまざまな人種差別が存在しているので、移民問題は永遠に解決できないと思ってしまうのは当然かもしれません。どちらが悪いというのではなく、移民が生じる根本的な原因をたどっていかないと理解し合えないでしょう。

映画は、人種も社会的地位も貴賎も異なる2人が、文字通り「許されない関係」のまま、めでたしめでたしで終わりました。僕としてはあまり共感できませんでしたが、今後日本でも移民政策を推し進めていくのであれば、決して映画通りにはならないことを理解しておく必要があると思いました。


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