ニック・オブ・タイム

(1995年 / アメリカ)

会計士のジーンは、ロサンゼルスのユラオン駅で6歳の娘を誘拐され、州知事暗殺計画への加担を迫られる。わずかな時間で決断を迫られた彼は…。

時間を盗むことはできるのか

「時間を盗むことはできない」。言うまでもなく当然のことですが、劇作家、特にシナリオライターと呼ばれる人にとっては、このフレーズが逆説的に作用します。現実の世界において時間は盗めない、しかし作劇においてはストーリーの進行、つまり時間の経過を視覚的に伝えるために、「時間を盗むことはできない」という常識を覆す必要が出てくるからです。具体的にはどういうことでしょうか。たとえば、シーンが切り替わる瞬間、夜空に浮かぶ満月が映し出された、あるいは、画面の明度が次第に上がっていきながら、ニワトリが高らかに鳴き声を上げるなどが典型的な手法で、僕らは時間が移り変わったことを直感的に理解できます。いちばんわかりやすいのは、テロップでしょうか。「3年後…」とか「その翌日」などと画面に映し出されれば、いやでも時間の経過を知ることができます。こうした手法はドラマ好きの人にとっては定番ですし、観劇好きの方なら照明の暗転、幕間や背景の交換で同じ体感をしているはずです。

世にあふれている映画やドラマは、もちろんプロのシナリオライターが手がけているので、劇中での時間経過はごく自然に受け入れることができます。現実では、主人公が振り返った瞬間に次の日になっていたり、瞑想するように目をつぶった瞬間30年前に戻っていたりすることなんて、当然できません。でも、液晶画面や銀幕ではそれが映し出されているし、僕らはそれを受け入れています。これがどういうことかというと、シナリオライターは「時間を盗んでいる」ということです。不可止の時間を断片的に切り取って、シーンごとに並べていき、シーンとシーンとの間を時間の流れ的にバラバラにしてストーリーを紡ぎ出していく。もし、この時間のシャッフルが現実に起きたとしたら、僕らはその矛盾に満ちた前後関係に戸惑い、たちまち混乱してしまうはずです。でも、ドラマや映画ではそうはなりません(たいていは)。登場人物たちの過去(あるいは未来)をシーンごとに散りばめていくことで、僕らに感動や驚きを与えてくれています。この「時間を盗む」見せ方こそがドラマや映画の面白さであり、同時にシナリオライターがもっとも頭を痛める手法でもあるのです。

ただ、「時間を盗む」ことを敢えてしないドラマもあります。それが「リアルタイム」とか「同時進行」を謳っている作品で、米ドラマ「24」などが採用していることはご存知かと思います。純粋な意味で直進的にストーリーが進んでいくので、回想や回顧シーンが挿入されることはありません。当然、義経の八艘飛びのように時間があちこち入れ替わることもありません。なにしろ、時計の秒針が無表情で時を刻んでいくのと同調して、何もかもがストレートに進んでいくので、ストーリーが振り返ったり立ち止まることはありません。これはシナリオを書く上ですごく難しいことだと思います。一般的なドラマなら、ストーリーの途中で人物像を掘り下げるシーンを追加したり、年月の経過を取り入れることもできる。でも、リアルタイム型のドラマでは、ストーリー進行と同時に登場人物の人となりや過去を僕らに紹介しなければならない。これこそがリアルタイム型ドラマがあまりない理由だと思います。なにせ、シナリオライター(もちろん監督や演出も含めて)には大変な力量が求められるからです。そういった意味では、この映画は成功したと言えると思います。


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