エスター

(2009年 / アメリカ)

赤ん坊を死産した夫婦は、エスターという一人の少女を養子に迎え入れた。しかし引き取ったその後、エスターの本性に気付き始めた妻のケイトは夫のジョンたちにそれを知らせようとするが、彼女の警告は聞き入れられないまま時間が過ぎていく…。

怖くても見てしまう心理

この人は絶対にそういうことをしなさそうなのに平気な顔をしてやってのけてしまったり、常識では考えられないことをいつの間にか信じ込まれされていることに気づくと、誰だってとてつもない恐怖に襲われると思います。大どんでん返し系のサスペンス映画ではたいていそうしたクライマックスが用意されているもの。犯人は心の底から信頼していたパートナーとだったとか、実は自分は死んでいるのに普通に現世で生活していたとか、ハッと気付かされるシーンを見せつけられると、一瞬呼吸ができなって胸の内を冷たい手で鷲掴みにされたような感覚になるはずです。

凶悪犯罪のニュースを見ていると、捕まった犯人をよく知る人が「どうしてあの人が……」とコメントするのを必ずと言っていいほど耳にすることを思うと、映画以上のことが現実に起きていることにはさらに恐怖に感じます。そうした恐怖にあふれている現実から逃避するために、映画やゲームのような娯楽があるはずなのですが、どうしたことか娯楽すら恐怖の塊になってしまっています。困ったことに、この恐怖コンテンツを僕らは食い入るように見入ってしまうことがしばしばあるのです。いえ、もう恐怖を体験することを、目をつぶってでもやらずにはいられないことと捉え、快楽の一部としている傾向も見て取れます。どうしてなのでしょうか。

そこには「怖いもの見たさ」の心理があるといいます。テレビの心霊特集や遊園地のお化け屋敷など、「恐い」と感じて怖気づいているのにわざわざ見に行ってしまう心理。その理由として、心理学的に2つに分類できるそうです。ひとつ目は好奇心。人は、何か分からないものがあるものに対して興味を抱き、その本質が知りたくなるものです。そして、「だめ」と言われたものほどその気持ちが強くなります。禁止されればされるほどしてみたくなってしまうのです(こうした心理現象を「カリギュラ効果」と呼びます)。ふたつ目は快楽。不安定な環境や恐怖を感じる場所に身を置くと、恐怖がいつの間にか胸のときめきにすり替わっているという、つり橋効果というものがあります。有名ですね。どうやらこれと同じ作用が働くようです。

したがって、恐怖映像を見続けているうちに「怖い」という刺激がだんだんと快楽に変わっていくそうなのです。スプラッター系のホラー映画はわかりやすい例ですけど、本当に恐い映画というのは、単に映像がグロいだけのものではありません。こういうのはすぐに慣れます。スローで静かな雰囲気だけど何かが起こりそうな胸騒ぎが消えない、第三者視線から危険が迫っているのがわかっているので登場人物らが危なっかしくて仕方ない、もうすでに残酷な展開になっているけど人物の謎が深すぎて見ずにはいられなくなっている。こうした冷や汗の出るような空気感をうまく演出している作品は、たとえホラーやサスペンスのファンでなくとも、ついつい「怖いもの見たさ」の心境になってしまいます。

そういった意味では、この映画は誰もが持つ逆説的な好奇心をうまく満たして成功した作品と言えるでしょう。いちばん怖いのは、エスターの役者さんが怪演すぎてドラマと現実との区別がつかなくなって、怖いもの見たさどころではなくなってくることですが。


閲覧ありがとうございます。クリックしていただけると励みになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください