パーフェクト・センス

(2011年 / イギリス)

徐々に五感を奪い去る奇病が、世界を恐怖と闇に陥れた。愛に溺れる感染症学者のスーザンとレストランのシェフ・マイケルは、嗅覚や味覚を次第に失っていき、互いの存在さえも認識できなくなっていく。

五感を喪失して人は幸せになれるのか

パーフェクト・センス

これまで風邪ひとつひいたことのない健康な人が、ある日、何の前触れもなく目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったりするとどうなるでしょう。考えるまでもなく、パニックになるはずです。突然誰かが後ろから手を回して目隠しされたら、飛び上がって「ひゃ!」と声を上げてしまうシチュエーションを想像してください。そこまでのリアクションでなくとも、少なくとも胸がドキッとしてしますよね。僕は、プールで潜水しているとき、ゴゴゴゴ……という水中の音しか聞こえなくなると、通常の世界から別世界に放り投げられたような心細さを感じてしまいます。また、片方の腕を巻き込むような格好で就寝してしまい、その痺れで朝起きたとき腕に感覚がないことに気づいたとき、サッと血の気が引く思いがして一気に目が醒めることもまれにあります。このように、まったくの健常者が、五感のどれかひとつ一時的にでも喪失してしまうと、「恐怖」を感じるものなのです。

ずいぶん前に読んだ『五感喪失』という本を思い出しました。内容はもうほとんど忘れてしまいましたが、かろうじて記憶に残っていることが2点あって、ひとつは意図的に参加者の五感(のいくつか)を喪失させるイベントがあり、そこで究極の非日常性を生じさせてトランス状態になって踊り狂うというもの。もうひとつは、人々が無菌無臭を奨励したりボディタッチを避けたりするようなったことで、児童虐待や孤独死などが増えたことです。人間が本来持っている触覚、嗅覚、味覚、聴覚、視覚を否定したり遠ざけたりすることで、非日常的な状態をつくりあげて興奮したり、それが恒常的になるにつれ人間性をも喪失していくのです。スーパーのレジ係がお釣りを渡すとき手が触れないよう、お金をつまんで渡そうとするのはまだ可愛いほうで、現代人は自らの五感の中で都合の悪いものを捨て去ろうとする傾向がある。カラコン、サングラス、添加物たっぷりのドレッシング、ファブリーズ……。こうしたものが悪いとは言いませんが、使用することが当たり前になるにつれ、人々は五感喪失への恐怖を薄らげていくのではないかと思ってしまいます。

突然電球が切れて真っ暗になったら誰だって取り乱します。でも、しばらくすると暗さに慣れてきて落ち着きを取り戻していくものです。これに似ているような気がします。いきなり耳が聞こえなくなった、匂いを嗅げなくなった、目が見えなくなった、誰だってパニックになります。ですが、ある一定の時間がすぎれば、そうした状態を受け入れるようになり、周囲の環境と順応しようとします。これが人間を含めた生物の特徴です。そうなんですが、人間は五感すべてを失った後でも誰かを愛することができるのでしょうか。観念的でストイックな愛は別として、本来の意味での肉欲的な愛というのは、五感すべてで相手を感じ欲望の限りを尽くすもののはずです。この映画で描かれていた極限状態でも相手を思いやる感情というのはわかります。でも、自然災害ではなく、人間的な喪失の中で愛を継続できるかというと疑問です。その瞬間から人を愛することを放棄するということではなく、もう人間の感覚として他人を労ることができなくなってしまうのではないでしょうか。第六感の創出という可能性もなくはないのですが、なんだかそれこそ非人間的な気がします。失って初めて気づく愛というのもありますが、あれとはちょっとニュアンスが違いますしね。(※障害をお持ちの方を否定する意図は一切ありません。ご了承ください)


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