僕はラジオ

(2003年 / アメリカ)

フットボール部のコーチ、ジョーンズは、グラウンドの傍らでよく見かける知的障害を抱える青年にチームの世話係を頼む。ジョーンズは、音楽が好きで片時もラジオを手放さないその青年に“ラジオ”というニックネームを付け、試合や学校の授業にも参加させる。

嫌悪する視線は自分自身に向けられている

知的障害者と聞くと、つねに「あーあー、うーうー」と唸っていて、突然癇癪を爆発させて暴れだすという負のイメージが抜けきりません。僕が小学校、中学校の頃にこういう生徒がいて、幾度となくそうした様子を目撃してきた経験が強く作用しているからでしょう。結局彼らは、健常者と一緒に学校生活を送ることができず養護施設に入れられたということも、僕が彼らを理解することができない要因のひとつだったかと思います。先生の指示通りに動けないのに加え、ちょっと気が触れただけで金切り声を上げたり大声で泣きわめく。当時の僕は、自分の子供を健常者と同じ環境で育てたいという親心はわかるけど、同級生としては正直迷惑だと思っていたし、また非常に残念なことにからかいの対象にもなっていました。いまでこそ、どんな障害を持っている人に対しても偏見を持たずに接しようという道徳的自制が働きますけど、中高生くらいだと寛大になれる子より面白がる子のほうが多い。恥ずかしいですが、僕も後者でした。僕はからかうというより避けていました。中学生の頃、軽い知的障害者のクラスメートが僕にじゃれ合ってきたのを、さも羽虫に対するがごとく払い除けたことをなぜかいまでも覚えています。

ところで、知的障害とは、発達期(18歳未満)までに生じた知的機能障害により認知能力の発達が全般的に遅れた水準にとどまっている状態のことで、知的発達に遅れがない学習障害とは定義上異なるとのこと。で、知能検査によって測られる「知的機能」、日常生活能力、社会生活能力、社会的適応性などの能力を測る指数「適応機能」の評価で、「軽度」「中度」「重度」「最重度」の4つの等級に分類されます。加えて、ダウン症や自閉スペクトラム症、自閉症スペクトラム障害、てんかんなど、さまざまな障害と合併して現れる場合も少なくないそうです。年代ごとにその症状が認められ、友だちとうまく遊べない、痙攣の回数が多い、勉強についていけない、対人関係がうまく築けない、考えをまとめることが苦手などが挙げられています。知的障害になってしまう原因なのですが、その約8割は明らかではないとされています。残りの2割は、染色体の異常などの先天性の知的障害や出産時の酸素不足やトラブル、乳幼児期の高熱などが原因となっているとのことです。

たしかに、医学的な分類に基づけば、知的障害者を上記のカテゴリーに当てはめることはできます。ただ、幸いにしてこうした障害を持たずに生まれた僕でも、なにか自分自身で引っかかるものを感じずに入られませんでした。知的機能については問題ないはずですが、問題は適応機能。社会的な組織や他人とのつながりに困難を感じることがある、つまり自分は「コミュニケーション障害」ではないかと思っていることです。人とまともに話すことができない、緊張して異性と話すことをむずかしいと感じる、どもってしまうなどの傾向があり、僕もそれに当てはまると思うことがしばしばあります。もともと外に出ず内向的な性格ということもあり、職場やプライベートの人間関係もうまくいっていると思ったことがほとんどありません。原因として、発話せずに済んでしまう環境、過度なストレス、人付き合いの希薄な地域など、さまざまだとは思いますが、何よりも僕自身が自分に自信を持てない、他人から疎まれているという思い込みが強すぎることなどが影響していると思います。周りから疎外されていると考え込んでしまうことで、ひとりだけで完結する環境をつくりあげて安住してしまう。たぶん僕だけではないとは思います。思い詰めることで、本当は何ともないのに自分は欠陥品だと決めつけ、人格障害を引き起こす人は。

この映画を観て、単に知的障害を持つ青年ラジオが、周りと打ち解けて幸せになっていくという単純なストーリーには思えませんでした。事前にサクセスストーリーであることはわかっていたので、知的障害というハンディキャップがどう話を面白くするのか、やや上から目線だったことは事実です。知的障害者に対する無意識のうちの偏見は大人になったいまも僕の中に存在していたのです。でも、振り返ってみると、その偏見こそ、僕が自分自身を見る視線だったと思わずにいられません。ラジオはつまり僕自身で、僕は彼が障害を負いながらも健常者とコミュニケーションを成立させていくさまを見て、きっと嫉妬していたのだと思います。ラジオのような人生は望んでいませんが、映画の中のラジオを羨んでいた。中学生の頃、迷惑がって軽くあしらった知的障害者のクラスメートがあの時もし心の傷を負っていたと考えると、僕もいま彼とまったく同じ傷を心に負っていることに気づくのです。


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