シャーロック・ホームズ シャドウ・ゲーム

(2011年 / イギリス)

世界各地で連続爆破事件が発生! 謎を追う名探偵ホームズは、この事件の黒幕が、“もう一人の天才”モリアーティ教授であると見抜いていた。彼はホームズとワトソンを抹殺すべく、欧州中に巧妙な罠を張り巡らせる。史上最強の名コンビは、次々と襲いかかる危機を乗り越え、ついに決戦の地へ!

一皮剥けたホームズ

学生時代、シャーロック・ホームズの小説はたくさん読みました。パイプをくゆらせながらロッキングチェアに深く腰掛け、「ワトソン君…」なんて余裕たっぷりに話しかけながら名推理を展開する。その鋭い着眼点と深い洞察力で、難解な事件を次々と解決していくさまは、読んでいて痛快であり、当時は僕も一端のシャーロキアンでありました。だから、小説から得た鮮烈な印象によりホームズのイメージはいまでも確固たるものであり、いまはもうさっぱり遠ざかっているとはいえ今後も消え失せたり変容するものではないのです。ホームズのイメージとは、つまり冷静沈着な紳士。こういう彼に憧れたものでした。

原作ものを映像化する際、原作の人物像を忠実に再現するのと、世界観は共有してもまったく別物に描くのとに大きく分かれると思います。予算などの都合により制作する側としてやりやすいのは後者だろうけど、ファンが求めているのは前者。いや、イメージが壊れるからいっそのことまったく別物に仕立ててくれという向きがあるかもしれませんが、概ねファンは原作の三次元化に大きな期待を寄せます。もちろん、誰もが納得のというわけにはいきませんので、ファンのイメージを平均化した映像作品に仕立て上げます。それができなければそもそもつくりません。だから日本では「ドラゴンボール」を映像化しなかったのだと思います。

それでは、この映画は小説のホームズ像に忠実なのかというと、まったく忠実ではありません。ロッキングチェアに腰掛けて、なんていう優雅な素振りなどかけらもなく、あちこち精力的に飛び回っています(行動力はもともと彼の持ち味ですが)。それに、沈思黙考して事件を洞察するなんてことはせず、肉体を駆使して戦います。初めは探偵ものによくあるサスペンスを期待していたのですが、アクション映画でした。名推理はありません。別に「シャーロック・ホームズ」のブランドはなくても話は通じます。世界中に散らばる熱狂的なシャーロキアン諸君はこれでよいのでしょうか。

でもこれが映画です。エンターテイメントです。目くじらたてることはないのです。たしかに初めのうちは違和感がありましたが、観ているうちにだんだんと慣れてきて最後まで楽しめました。これが本当のシャーロック・ホームズだとは思いませんでしたが、こういうシャーロック・ホームズもありだとは思いました。ただ、面白くつくってもらうぶんには構わないのですが、やはり原作に忠実に、つまりお約束は忘れずにつくってもらいたいです。そのお約束こそがシャーロキアンたるアイデンティティなのですから。


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