スリーピー・ホロウ

(1999年 / アメリカ)

ニューヨーク郊外の村“スリーピー・ホロウ”で連続殺人事件が起こる。それは“首なし騎士”が村人の首を斬るというもので、NY市警のイカボッドは捜査に乗り出すのだが…。

ハロウィン的ホラー映画

そういえば、そろそろハロウィンですね。というか、「そろそろ」だなんて、日本の暦に定着したような言い方をしてしまいましたが、ハロウィンはバレンタインやクリスマスのように、日本の季節イベントのひとつとして組み込まれてしまった感があります。ただ、どうも僕には違和感が残ります。というのも、僕が小さい頃、バレンタインやクリスマスはすでにあったのですが、ハロウィンはここ数年で浸透してきたものなので、季節の風物詩というより、商業的イベントのイメージが強いです。こう言ってしまうと、バレンタインやクリスマスだってそうじゃないかという反論が飛んできそうですが、そちらのほうは、言い方おかしいですけど、物心ついた頃からあったものなので、そういうものなのだという認識で片付けられます。ですが、ハロウィンは違うんです。ハリウッド映画で見た「トリック・オア・トリート」の正統なハロウィンではなく、日本のハロウィンは欽ちゃんの仮装大賞の拡大版でしかないのですから。

ハロウィンとは、本来ケルト人が起源とされている祭りのことで、秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事のこと。毎年10月31日になると、この時期に出てくると考えられている有害な精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていました。これにちなみ、31日の夜、カボチャをくり抜いた中にロウソクを立てて「ジャック・オー・ランタン」を作り、魔女やお化けに仮装した子供たちが近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート」と唱え、お菓子をもらいます。ただ、もともと宗教的行事であるハロウィンも、アメリカでは民間行事として定着しており、本来的な意味合いはほとんどなくなっているそうです。おそらく、このアメリカ的ハロウィンの一部が日本に伝播してきたのでしょうね。仮装して路上練り歩きイベントはあれど、さすがに近所の子供がうちに来て「トリック・オア・トリート」なんてやられたら、引いてしまいますから。

このあたり、祭り好きの日本人としてはハロウィンは格好の素材だったのかもしれません。それに、日本はキリスト教徒が多数を占める国ではないので、ハロウィンだけでなくクリスマスなどが宗教的行事だと認識している人はほとんどいないのではないでしょうか。それはそれでいいのですが、国外から異文化の行事をそのまま引っ張ってきて、祝日にはしないまでも、それと同等の一大イベントにしてしまおうとすることに大きな不安を感じています。だって、盆や正月はまだしも、すでに日本の行事で春分や秋分、天皇誕生日、建国記念日などの本来的な意味合いは薄れ、ただの祝日(学校や会社に行かなくていい日)となりつつあります。怖いはずのお化けを可愛いものとして扱うハロウィンがすんなり受け入れられる日本という国は、おいしいところだけ抜き取って一大イベントとして楽しもうとすることは、いい意味でも悪い意味でもお家芸だと思いますが、それゆえ古い伝統を大切にしてきた日本的精神を忘れ去ろうとする傾向があることに危惧を感じます。

この映画にはどこかそうした側面を感じさせるものがあります。首無し騎士が人間の首を求め、馬に乗って暴れ回るというホラー要素が満載なのですが、それを「ハロウィン」的にしているのが、主演のジョニー・デップです。おそらく、彼が主演ではなかったら、普通のホラー映画で終わっていたでしょう。でも、彼が出ていることで、「怖いんだけど可愛い」というニュアンスが全編にわたって醸しだされています。この作品以後の「パイレーツ・オブ・カリビアン」あたりのデップのイメージもダブっているかもしれませんが、とにかくヒヤヒヤではなく、ドキドキしながら観るテイストに仕上がっています。こう言ってしまうと、この作品が実験的であったり正統から外れたかのような印象を持たれるかもしれませんが、楽しい部分を抽出して自分のものにすることが得意な日本人なら、その点、気せず受け入れてもらえるのではないかと思います。


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