女帝 [エンペラー]

(2006年 / 中国)

ワンは、先の皇帝の息子で継子にあたる皇子ウー・ルァン(ダニエル・ウー)に密かな思いを抱き続けていた。ウー・ルァンは、かつて愛した女が自分の母となってしまったことをきっかけに宮殿とは離れた邸宅にて芸術とともに暮らしていたが、父である皇帝が暗殺されたという密書を受けとり、宮殿に戻ることを決意する。

消臭された中国史の舞台劇

女帝 [エンペラー]

中学、高校の頃、中国の歴史を描いた小説をよく読んでいました。吉川英治の『三国志』をはじめ、陳舜臣の『小説十八史略』、横山光輝『項羽と劉邦』など。どれも読んだら止まらなくなるほど面白く魅力的で、特に三国志は劉備が諸葛亮を得てからの展開がダイナミックかつ感動的で、文字通り寝食を忘れて読みふけっていた記憶があります。こうした傾向は同世代でも共通で、クラスにひとりかふたりは「超」が付くほどの三国志マニアがいて、僕など到底太刀打ちできないほどの知識を誇らしげにしていたものです。

では、中国史の何が少年の心を掴んで離さないのかというと、広大な大地で繰り広げられる圧倒的スケールの戦闘もそうですが、やはり英雄、名軍師、梟雄などといった多様な登場人物によるところ大きいと思います。三国志はその最たるもので、全巻読み終わるまでに数えきれないほどの人物が出てくるのですが、それに正比例して英雄の数もとても多い。一騎当千の武将、帷幕で知謀を巡らす軍師、人徳あふれる救世主、触れるものすべて薙ぎ倒す悪漢。小説なので脚色はあれど、こうした人間臭い人物が出てくるたび、彼らの名前を覚えていくことが何より楽しかったことをいまもよく覚えています。

さて、この映画の舞台は、大唐帝国が滅んだあとの五代十国時代の中国。中原が北方や西方の異民族で蹂躙されていた時代です。作品では特に国名を指定していなかったので、人物名はすべて架空のものだと思われます。ともあれ、こうした混沌の時代を舞台にしているだけに、さぞかし戦闘と謀略で土煙と埃にまみれたスペクタクルを見せてくれるのだろうと期待して観始めました。つまり、三国志のような血沸き肉踊る物語を見せてくれるのだろうと思っていました。ですが、描かれていたのは、屋内での愛憎劇。殺害された先帝のかたきを討つべく皇帝の妻となった主人公が、復讐を誓ってその日を待つというもの。それに義理の息子とその恋人などが絡んでいくという話でした。

舞台劇とかアート系の舞台が好きな方にはたまらないんだろうと思います。同時に、観た人が感じるのは中国の歴史ではなく、あくまでも「中国的なもの」にとどまるのだとも思いました。センスのいいビビットな色使い、ワイヤーによる派手なアクションなど、別にそこまでアーティスティックに演出しなくても中国はすばらしい遺産(歴史)を持っているのだから、それをそのまま見せてくれればいいのに、と三国志的な展開を期待していた僕はついそう思ってしまいました。

ただ、芸術というものは、自己のアイデンティティの源となる、生まれた国の個性を現代風にアレンジし、見た人の心に訴えかける媒体として表出させること。つまり、芸術家はナショナリストなのであり、「芸術は世界を超える」という現象は、自己を世界標準化することではなく、創作物を通して祖国の個性そのものを世界中の誰が見てもわかるように知れ渡らせることである、と僕は勝手に思っています。そういった意味で、この映画は、あくの強すぎる三国志的なものにしなくて成功だったのかもしれません。僕には高尚すぎてあまり好きではありませんが。


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