突入せよ!「あさま山荘」事件

(2002年 / 日本)

1972年2月、零下15度の極限状態で繰り広げられた10日間を壮大なスケールで描いた社会派アクション。ひとりの女性を人質に「あさま山荘」に立てこもった連合赤軍5人と、長野県警および警視庁の猛者たちの激烈な攻防を描く。

君はすごい時代に生きている

突入せよ! 「あさま山荘」事件

僕が中学の頃、ソ連が崩壊しました。それまではアメリカとソ連という超大国が西側と東側とで世界を二分し、それぞれの政治経済体制である資本主義と社会主義を大義として掲げ、戦争(熱戦)という手段を駆使しない陣取り合戦を繰り広げていました。これを冷戦時代と言いました。第二次大戦後、急激に勢力を拡大してきたソ連によって世界が赤化するのを防ぐため、アメリカは日本や欧州西側諸国に資本主義の恩恵を目一杯振りまいて経済力(防衛力)を付けさせ、反共の橋頭堡として育成してきました。その結果、アメリカ・欧州西側諸国・日本VSソ連(ならびにその衛星国)・中国という対立構造ができ、世界各地に地域紛争には必ずアメリカとソ連がイデオロギーの浸透を狙って影をちらつかせるようになります。ただ、時代が進むにつれ米ソは軍縮などを通じて歩み寄りを見せ始めるようになり、その勢力的な均衡が膠着状態という名の安定をもたらしていた時期でもあります。そんな中、勢力均衡の一端を担っていたソ連が崩壊したのです。この世界を揺るがす大事件を受け、関東の端っこにある田舎の中学校の集会で、たしか社会科の先生だったかと思うのですが、僕たち生徒に険しい顔を向けてこんなことを言いました。「君たちはすごい時代に生きている」と。

「すごい時代」。たしかに、ソ連の崩壊が世界的に大きな出来事だということは、先生から言われるまでもなく、新聞やニュースで一面トップで取り上げられていたことから理解していました。でも、なぜそれが「すごい時代」ということになるのかがわかりません。先生のニュアンスからして、「すごい」とは「華美な」ではなく「苛烈な」という意味に受け取れました。でも、本当にそうなのでしょうか。資本主義の敵だったソ連がなくなってアメリカが幅を利かせられるようになれば、その核の傘の下にいる日本は永遠に安泰になるはずです。だとすれば、大いに歓迎すべきことであって、万々歳ではないですか。それに、ソ連崩壊を受けて「これからすごい時代になる」という言い方ではなく、「すごい時代に生きている」とソ連崩壊前も含めた現在進行形で言い切ったのはどうしてだったのでしょう。共産主義とか社会主義とか、意味をよく理解しないまま、とにかくソ連を中心とした東側諸国は悪玉であるかのような教育を受けてきた僕らにとって、首魁であるソ連が崩壊したなら「ここからすごい時代が始まる」としたほうがスッキリできたことでしょう。国際政治や地政学、冷戦の成り立ちなど、きちんと整理できているはずのない当時の同級生の中で、どれだけの生徒が先生の意を汲み取ることができていたのでしょうか。

その答えは、戦後から高度経済成長期にかけて起きた「反米闘争」「左翼蜂起」がキーワードになると思います。僕らの世代は、日米安全保障条約締結反対を訴えた安保闘争や、全共闘運動いわゆる学生運動が盛んだった時代のことを知りません。反米・反社会・反政治(自民党政権)を掲げ、ヘルメットとガスマスクで頭と顔を覆い、手にはゲバ棒を持って機動隊にぶつかっていく様子は、完全にテレビの中の話で、ほんの数十年前の出来事であるにもかかわらず「前時代的」という印象がありました。それほど僕が生まれた頃の日本は平穏で銀行強盗すら下火になっていた時代だったので、学生運動の映像が前時代の内戦のように見えても仕方のないことだったのかもしれません。そのため、「反共」とか「防共」とかの意味合いも実感として得ることはなく、「革命」という言葉からはアニメの主人公的なヒロイックな陶酔を感じてたりもしました。

だから、中学校の先生が集会で語った「すごい時代」が何のことなのかわかるはずがありません。先生は、安保闘争や学生運動をその目で見てきたのです。日本をアメリカ(西側)から引き離すため共産党員やそのシンパを扇動し、国内を動乱に陥れた黒幕の正体を知っていたのです。その黒幕が崩れ落ちて消滅しました。これから世界はアメリカ一極化になっていくにしても、その過程において巨大な地殻変動が起きることは火を見るより明らか。先生はこうした世界が激変していくまさにその渦中にある当時において、多感な中学生を前に警告を発したのでした。「私も、相反する思想がガチでぶつかり合うすごい時代を生きてきた。でも君たちもすごい時代に生きている。東西イデオロギー闘争がなくなる代わりに、新たな脅威が降って湧いてくるだろう。これまでの安定は過去のものとなり、世界情勢の変化という荒波を君たち自身の力で乗り切っていかなければならないのだ」と。

この映画は、まさに僕にとって前時代的な出来事としか認識していなかった「連合赤軍あさま山荘事件」を取り扱った作品です。銃を持った左翼過激派の犯人が人質を取って山荘に籠城し、警察と銃撃戦を繰り広げるなんて刑事ドラマと見まごうほど。しかも、クレーンの先に鉄球を取り付け、それを山荘の壁にぶつけて穴を開けるなんて、アナログチックにもほどがあるとツッコミを入れたくなってきてしまいます。でも、これは現実に起きた事件です。現場の様子を捉えたテレビ中継が一時、視聴率90%にまで上昇するなど、国民の誰もが現実に起きていることとして注視した事件でもありました。テレビの向こう側では実弾が飛び交い、殉職した警官も出ました。中学時代のあの先生もきっとこの中継を観ていたはず。そして悟ったことでしょう。共産主義の暴虐性と、その総本山であるソ連に日本が取り込まれることの脅威を。もしかしたら、先生も「すごい時代に生きている」と言われたのかもしれない。だからこそ、ソ連がなくなった空隙を埋めようとする国際政治の新たな闘争を察知して、僕らに同じことを言ったのではないでしょうか。映画自体は連合赤軍が起こしたひとつの事件を追っているだけなので、単なるドキュメンタリーテイストのエンターテイメントという解釈で終わらせる人もいると思います。でも、戦後から現在までの日本を含めた世界の近現代史を学ぶことで、この事件が起きた成り行き、そして今後の動静が見えてきます。そして、その時こそ「僕はすごい時代を生きている」と明確に認識することができるのだと思います。


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