ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛

(2008年 / アメリカ)

“伝説の4人の王”として、ペベンシー兄妹が築いたナルニア国の黄金時代から1300年。普通の学生としてロンドンで暮らしていた兄妹は、滅亡寸前となった魔法の国を救うため、カスピアン王子と共に立ち向かう。

ファンタジー映画の相互補完作用

ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛

連続ものの小説を読むことはよくありますが、上下巻や3、4分冊ならまだしも、さすがにこれほどの分量の大長編は無理だと腰が引けて断念することもよくあります。いちばん初めにそういう心境になったのは、『銀河英雄伝説』でした。高校の頃、友人から面白いからと絶賛されて貸してもらおうとしたのですが、なんと全10巻、しかも外伝も5冊ほどあると聞き、丁重に断りました。当時から読書好きだったとはいえ、あまりにも長い期間ひとつの作品と向き合うことは苦痛に感じていたからです。最近になって再アニメ化が決まったので、10冊程度なら付き合ってみようかと思ってみたりはしてますが。

そんな僕でも、大長編には一切手を付けなかったわけではありません。中学の頃に『宮本武蔵』、中学終わりから高校に入る頃にかけて『三国志』、ともに吉川英治の著作で全八巻。読みきったという達成感はありましたが、三国志を読破した後、長いのはこれっきりにしようと決めました。長いのがよくないということではなく、僕はひとつの作品に集中することを是とし、その間別の作品に手を出すのは浮気と考えるタチなので、どうしてもいろいろな分野の作品を知る機会が失われてしまう。限られた時間の中で、これは損なことなのかもしれないと考えたからです。それ以降、いまに至るまで、取りかかった大長編は全八巻のものが最長となっています。

冒頭で「連続もの」としましたが、僕が言う連続ものとは第一巻から最新巻まで話がずっと続いていて、途中から首を突っ込めないたぐいのもののことです。これに対し、大長編は大長編でも、途中からでも難なく楽しめるタイプのものもあります。つまり一話完結のものであり、これも厳密には連続ものと言えるのわかりませんが、ひとつのタイトルで長年継続しているという意味合いのほうが強く、僕はそもそもこういったタイプの作品には関心を持ちません。『こち亀』とか『三毛猫ホームズシリーズ』とかがそれに当たりますが、たとえその中の一冊読んだとしても、なんだか大砂漠の中で砂粒ひとつ掴んだという途方もない気分に陥り、全部読んでやろうという気が起こりません。一話完結だからこそ、別に無理して全部読む必要はないと言っているのを感じるからです。

さて、この映画は「ナルニア国物語シリーズ」の第二弾です。第一弾は当然観、、、たはずですが、記憶が曖昧なまま観始めました。観ているうち、そういえばこういう子供たち出てきたような、このライオンは覚えてるぞと、第一弾はたしかに観たという事実だけは思い出しました。しかし、どういう設定だったか、この子供たちは何を目的に戦っているのか、なんで動物や化け物たちが味方しているのかといった細かいことまでは思い返すことができないまま観終わりました。それでも楽しめました。さすがにストーリーの濃密さは感じませんでしたが、ファンタジー映画が持つ魅力を十分に持ち合わせた展開はとても自然で、息苦しさがないぶん、休日の息抜きにピッタリの映画だったと思いました。

ただ、ここでは「ファンタジー映画」がキーワードです。極論を言ってしまうかもしれませんが、僕はファンタジー映画はどれも同じだと思っています。キャラクターや地名の差異は当然あれど、中世ヨーロッパ的雰囲気と剣と王国が出てくれば、すでに既視感の範疇です。僕は「ナルニア国物語」の第一弾はほとんど失念していました。しかし、その失われた記憶を、「ロード・オブ・ザ・リング」や「ハリーポッター」「ホビット」など、かつて観たファンタジー映画が補完してくれたのです。もちろん、それぞれの作品はまったく違うストーリーを持っていますが、ファンタジー映画という特殊属性により互換作用が働くのです。たとえるなら、『宮本武蔵』の第3巻を読み終わった後、『三国志』の第4巻に取りかかっても話が通じるようなことです。

僕は別にファンタジー映画を金太郎飴のようだと否定しているわけではないし、また連続ものとしてのストーリー性を軽視しているわけでもありません。ただ、難しいことを考えず異世界を冒険できる映画を楽しみたいと思ったら、ファンタジー映画のどの作品のどのパートからでもとりあえず観れば十分満喫できるということを言いたかっただけです。


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