ナイロビの蜂

(2005年 / イギリス)

情熱的な妻テッサと外交官の夫ジャスティンは、夫の駐在先のナイロビで暮らしていた。しかしある日突然、ジャスティンの元にテッサの死の知らせが届く。。警察は単なる殺人事件と処理するが、疑念に駆られたジャスティンは妻の死の真相を調べ始める。

多国籍巨大企業と個人との間の相関図

国連合同エイズ計画(UNAIDS)の世界エイズデー最新報告書「Results」によると、2011年末現在における、世界のHIV陽性者数は3400万人。そのうち、サハラ以南アフリカでは、改善されたとはいうものの69%を占めているのが現状で、とりわけ新生児の感染や子供の新規HIV感染は著しい現象を示しています。では、なぜサハラ以南アフリカでHIV感染が集中してしまったのか。諸説ありますが、伝統的な男性優位社会や婚姻制度、宗教問題、それと貧困に基づく教育水準の低さが主な原因と言われています。伝統的な一夫多妻制度により、1人のHIV感染男性が複数の夫人に感染させることでネズミ算的にHIV感染者数が膨らむ。男尊女卑社会における一方的な離婚や貧困を理由に、女性が避妊しない売春婦として働くようになる。そもそも、教育水準が低いため、HIVやその予防対策の知識を得る機会が与えられていない。こうした現状なので、いまもアフリカ(特にサハラ以南)ではHIV感染の根絶の目処がたっていないのです。

これに対し、アフリカ各国も、国内投資を増やして、1人でも多くの人がHIV検査と抗レトロウイルス薬による治療を受けられるように努力しています。そんな中、このアフリカを舞台にした不穏な動きも見られます。それは、世界の大手製薬会社が新薬の試験をアフリカで行うようになっているということです。2005年3月、抗エイズウィルス剤であるテノフォビル(R)に関してナイジェリアで行われていた臨床試験が、倫理に大きく反するとして中止に追い込まれた件をはじめ、被験者が死亡したり重篤な後遺症を負うケースが後を絶たないといいます。この背景には、試験にかかる費用が先進国の5分の1で済むこと、感染症をはじめとして病人の割合が高く反復的集中的な治療を受けていないため症状の出方もはっきりしていること、現地の保健医療体制が整っておらずに困り果てている被験者は御しやすく試験を実施しやすいことなどが挙げられるとのことです。

崎谷博征著『新・医療ビジネスの闇: “病気産生”による日本崩壊の実態』では、製薬会社にとってのマーケット拡大とは「病気が増えること」と定義しています。病気を新たに“創作”することは金脈を掘り当てることに等しいとし、アメリカの製薬業界は行政府に最大規模のロビイングを行うことで、医薬品製造基準の遵守状況の監視などが甘くなるよう誘導しているといいます。中でも開いた口が塞がらないのは、ワクチンは製造責任が追及されずに利益をむさぼることができる「打ち出の小槌」であり、開発途上国支援と銘打ってのワクチン供給による金儲けに余念がないというくだり。ほかの医薬品では副作用のために多数の訴訟や賠償金が課せられることがあるため、製薬会社はこぞってワクチン製造にシフトしているとのことです。アフリカにおけるHIV新薬の供給にそうした思惑がうごめいていることは確実であるがゆえに、投薬により被験者が死亡した事実は彼らの金儲けのためには何が何でも隠し通さなければならないことなのです。

世界を動かしている巨大多国籍企業の思惑、それに首を突っ込んだばかりに殺されてしまった妻、妻を殺された真相を暴くべく東奔西走する主人公。一個人の力ではどうすることもできない力をつくり出しているのが個人の集団であるなら、一個人同士が集結してその集団に立ち向かえばいいという単純計算では覆せない現実。また、集結にすら至らしめないくらい強大な力に阿諛追従することで生き残りを図る人々。世界とは、こういう力学で成り立っている部分があることに気づいたとしたら、見て見ぬふりをすることこそ賢い選択なのかもしれません。立ち向かい告発することが勇気であることは百も承知ですが、その勇気すら匹夫の勇にすり替えてしまうのが彼らなのです。どんな映画でも観て感じることは人それぞれですが、夢や希望という美々しい響きに完全に酔ってしまうか、その言葉の裏にある現実を垣間見ようとするか、この映画に関してはそうした選択肢を与えない、強いメッセージが込められていると感じました。


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