デビルズ・ダブル -ある影武者の物語-

(2011年 / ベルギー)

イラクの独裁者サダム・フセインの長男ウダイ。そんな彼とウリ二つの顔を持つラティフは、突然ウダイの屋敷に連れてこられ、彼の影武者になるよう強要される。拒めば家族の命が危ない。仕方なく従い、整形し、癖を覚え、ウダイになりきろうとする。

小皇帝の隆盛する社会がたどる末路

一人っ子政策が敷かれている中国では、一人っ子ゆえの可愛さから過保護に育てられた子供のことを「小皇帝」と呼ばれているそうです。都市部の富裕層や中産階層に多く、改革開放後の消費社会で育った彼らは、親の愛情をたっぷりすぎるほど受け、「自主性に欠ける」「自己中心でわがまま」「思いやりがない」という負の人間性を克服する機会が与えられないまま大人になっていくとのこと。もちろん全員が全員そうではないですし、日本も似たようなところがあるので、一概に中国のケースだけを批難できません。ですが、僕は中国に留学していた時に、食堂やデパートの中で小さい子供がやりたい放題やっている姿を親が微笑ましく見ていたり、超混雑している地下鉄の中で子供がせがむまま大きなおもちゃを出して遊ばせたり、そんなのをしょっちゅう見ていたので、中国の小皇帝の権勢は日本など敵視すらしないことをよくわかっています。子供、特に小さい子供に自制心や自立心など芽生えているはずもないので、彼らは何でも本能の赴くまま好き勝手やろうとします。親としてはそんな彼らが可愛いのはわかりますが、人に迷惑がかかることや常識はずれだったり非倫理的だったりすることに関しては、責任をもって子供を制止しなければなりません。それが躾です。小皇帝を産んだのは中国の社会で間違いありませんが、彼らが分別のある大人になれないのは親のせいでもあるのです。

たしかに、一人っ子にせざるを得ない社会制度なので、一家の大黒柱となるべき一人息子(娘)を猫かわいがりするのはわかります。ただ、それが過剰になり、行き過ぎた英才教育による超競争社会が現出し、競争に破れ、親の期待に添えなかった子供がうつ病になって社会復帰できなくなるという弊害も多発している現実も無視できません。それを避けて密室に大事に大事に育てようとすると、今度は社会が機能しなくなります。大量の小皇帝が実質的なニートと化すことで労働力や社会保障の破綻をきたし、真面目な就労者が割を食うことになるのです(このへんは日本と似ていますね)。世界の歴史において、王政を敷いていた国家が、虎の子の跡継ぎを大事に大事に育てた結果、暗愚な国王となり国を滅ぼす原因となったというケースは珍しくありません。近代国家というのは、親が子供に最低限の常識と分別を継承させていくことで形成される、礼節を重んじ秩序正しい国家のことのはずなので、こうした小皇帝的育児が横行している社会というのは近代国家から転落あるいは亡国の危機が確実に迫っていると言えるでしょう。

これは現代の社会問題であり、近代以前の酒池肉林に溺れ国を滅ぼした暴君(暗君)なんていうのは、さすがにもういないでしょう。と、僕は思っていました。でも、この映画を観てその認識は一変させられたのでした。彼は一国のナンバーワンにこそなりませんでしたが、大統領の長男としてわがままやりたい放題の限りを尽くした“ドラ息子王”とでも呼びましょうか。イラクのサダム・フセイン元大統領の長男ウダイ・フセインのことです。高校の同級生が乱暴な性格で手に負えない生徒だったと回想しているように、気に入らないこと思い通りにいかないことに逆上して周りに当たり散らすのは序の口で、スポーツチームが不本意や結果に終わると選手を鞭打ちの刑に処したり、ナンパした若い女を強姦してポイ捨てしたり、近親者でもお構いなく殺害したり、夜は夜で酒と女(本当にイスラム教徒?)でハイになる毎日を送りました。さて、ウダイがいい大人になってもこうした放蕩三昧に耽っていたのは誰の責任でしょうか。常識や分別に目覚め自省することのなかったウダイ自身にも問題はありますが、やはり親のサダム・フセインにあると思います。サダム自身継父から体罰などの厳しい教育を受けたため「自分の子には厳しいしつけはしたくない」という親心から、ウダイを甘やかして育てたとのこと。これで国(正確にはフセイン政権)が滅びた理由がわかるというものです。小皇帝ウダイが住んでいた砂上の楼閣は、その親サダムによって腐食させられ、着地すべき地面もろとも崩れ去ってしまったのです。

とは言え、この映画で着目したいところはウダイの行状以上に、ウダイとその影武者という似た役を演じたドミニク・クーパーの演技。何も知らずに観た僕は、まったく別の役者が演じていると思い込まされてしまったほどで、まさか一人二役だとは思ってもいませんでした。それほどクーパーの演技は迫真で、ウダイの影武者がウダイの暴虐を憎みつつも本人になりきらないといけないという葛藤が手に取るように伝わってきたことは出色でした。ストーリー展開も始終ハイテンションで観る人をグイグイと引っ張っていく感興を持ち合わせていますが、それもクーパーの演技力あってこそ。この映画がきっかけとなり小皇帝が撲滅されればいいというのは夢物語にすぎるでしょうか。


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