大脱走

(1963年 / アメリカ)

第ニ次大戦中、脱出不可能と言われたドイツの捕虜収容所から脱走を図った連合軍将兵の脱走劇を描く。

生き残るためのトンネル

the-great-escape

この映画に限らないのですが、“脱出不可能”を謳う刑務所なり監獄から逃げ出す手段として、トンネルを掘るというのはよくあるパターンですね。最新型の鉄筋コンクリート造りの建物はどうかわかりませんが、戦時中の掘っ立て小屋的な収容所なら床を剥がせば地面だったわけだし、いざ脱出となったらトンネルを掘るという発想になるのは当然だったことでしょう。それに、歴史小説を読んでいると、攻城戦で、味方陣地から城内へと通じるトンネルを掘るくだりは結構出てきますし、城内に潜伏した味方と気脈を通じて城を調略したりして、当時の戦術としては割りとポピュラーだったと思われます。米ドラマ「プリズン・ブレイク」では、トンネルじゃなくて下水管だったか排気ダクトだったか記憶があやふやですが、ともかく脱獄するのに正面切って腕力で押し切るってことはまずないですね。密閉された空間から新しいルートを切り開くという意味において、広くトンネルと考えてよさそうです(かなり強引ですが)。

と、これまで「逃げる」ほうのトンネルを探ってきたわけですが、実際、と言いますか、一般的に知られているほうのトンネルは、もちろん、山を穿ち道路と道路をつなげるためのトンネルです。日本は国土が狭く、都市部では上下水道、通信、電力、地下鉄、道路、雨水貯留などのためにトンネルを掘らなくてはなりません。山岳部でも道路を通す、線路をひく、などの場合にも同様です。日本の都市部は不安定な柔らかい地下となっており、そこを地上に影響がないように掘る必要から、その技術は世界有数なのだそうです。トンネルの造り方にもいくつかあり、横方向に掘りながらコンクリートで固める「山岳工法」、鉄製のシールドと呼ばれる筒の内側でトンネルを堀る「シールド工法」、最初に地面を掘り返してからトンネルを造りもう一度土で埋め戻す「開削工法」、海や川の底に沈めてつなぎ合わせながら造る「沈埋工法」が代表的。普通のトンネルは山岳工法で、掘った地山が崩れないように支えてコンクリートで仕上げるとのことです。

では、この映画で掘ったトンネルの工法は。当然のことですが、それ専用のマシンや測量器具などあるはずがなく、すべて人力。つまり、モグラみたいに、シャカシャカと土を掘って穴を作っていくというやり方です。さすがに、掘ったら掘ったままではなく、不要な土は外に捨て(映画ではズボンの中に忍ばせて作業中にこっそり捨ててました)、トンネルの天井や脇にはベッドから外した木片を当てて崩落防止の支えとしていました。また、先端で掘っている人が酸欠にならないよう、ふいごを使って空気を送り込んでいたのは、彼らが脱獄常習犯たる所以ですね。トンネル内にレールを敷いてトロッコを走らせるあたり、こういうメンツが集まった以上、脱獄を企てないわけがないと見抜けなかったドイツ側の落ち度でしょう。ともかく、このスタイルがトンネルを使用したよくある脱獄劇の一幕ではないかと思います。戦国時代の攻城戦もこんな感じでトンネルを掘っていたのではないかと。ところで思いつきですが、技術の発達した現代において、最先端のシールド工法を使った都市攻略戦なんてあるのでしょうか。

そう言えば、と思い出しました。ベトナムに行ったとき、クチのトンネルを体験してみたことがあります。クチのトンネルとは、ベトナム戦争時、ホーチミン市クチ県を中心とした全長200kmの地下トンネルネットワークで、カンボジアとの国境付近まで張り巡らされていたトンネルのことです。観光客用に何箇所か通れるようになっているのですが、実際中に入ってみると、暗くて狭くて、しかも迷路のようにクネクネ曲がっていて出口がどこだかわからない。しゃがんで進まなければならず、狭いところに恐怖を感じる僕には数分が限界でした。あのとき、後ろから来た人がペンライトで前を照らしてくれてなかったらと、いま思い返しても身震いしてしまいます。ほかの同行者は皆面白がっていた一方、ギブアップしたのは僕だけでした。

でも、もしこのトンネルが「逃げる」ためのトンネルではなく、「生き残る」ためのトンネルだったとしたら。きっと必死で前進していたことでしょう。なんか、この映画を観て、実社会で逃げ道ばかり探している自分自身が浮き彫りになったような気がしてしまいました。


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