オペラ座の怪人

(2004年 / アメリカ)

1870年パリのオペラ座で、プリマドンナが事故に巻き込まれ役を降板。新人のバレエダンサーのクリスティーヌが大役を得て、舞台を成功に導く。しかし、その姿をじっと見つめる仮面の男がいた。幼なじみの男性ラウルと再会して喜ぶ彼女を、仮面の男は地下深く連れ去る。

劇場との一体感こそオペラのすべて

オペラ座の怪人

小学校から高校までの間、文化祭と同時開催だったかどうだったか覚えていませんが、何かのタイミングで合唱コンクールが毎年ありました。たしか課題曲は設けられておらず、候補の曲の中からクラスで自由に一曲決めるやり方で、学年ごとに競うものでした。これが全国でも同じだったのかは知りませんが、僕は高校まで地元の公立に通っていたため、市内の学校はどこも合唱コンクールがあったと思います。ピアノも指揮もできない僕は当然、歌うほうに回ります。声変わりのしていない小学校時代は除いて、基本的に男声、女声それぞれキーが高いほう、低いほうにパートを分けていました。僕は、高いほうに所属した記憶があります。

各パートごとに練習を重ね、いよいよ全パート合わせて通しで歌う段になって、僕はとあることに気づきました。「僕の歌声は他の誰ともハモっていない」。パートごとの練習でも似たような体験をしたのですが、みんなで一緒に合わせようとすると僕の音程だけが特にハズれて聞こえる。周りから白い目で見られているわけではないので、僕の気のせいだったのでしょうか。自分の声って、レコーダーに録音したのを聞くとわかるのですが、自分の耳に聞こえている声と、他人に聞こえてる声は違うのです。だから、注意されてないからいいのかなと考えておくこととしました。

さて、コンクール開催日が近づき、本番が行われる体育館での予行練習をすることとなりました。これまでは教室での練習だったので、ピアノの伴奏もいつもと違って聞こえます。それで、歌い始めてから、僕ははっとしてしまいました。僕の歌声が、他の人の歌声と調和して飛び跳ねて聞こえる。これまで違和感を抱えつつ歌っていた僕は、まるで束縛から解放されたかのように生き生きと歌うことができました。いったいどうしてでしょう。教室より広いというだけで音響の考慮はされていないはずの体育館に場所を移した途端、僕の歌声がたちまち伸びやかになったのです。何か心理的な要因でもあったのか、それとも単なる思い込みだったのか、または偶然か。原因はわかりませんが、同じようなことは毎年起こったのです。

音楽に限らないと思いますが、ある芸術作品を鑑賞する際、場所や状況というものが大きな意味を持ってくることは明白です。たとえば、ピカソの名画を教科書で見ても感動できなかったり、チャイコフスキーの名曲をAMラジオで聞いても心動かされなかったり、ゴッドファーザーをスマホの画面で観ても引き込まれないように。この映画も同じ。もちろん、映画は映画館で観るべきなのでしょうが、ミュージカルものは基本、劇場で生の歌声で聴くべきだと感じました。全編を通して歌で満ちているのですが、あの張りのある美声を生で聴けたらどんなに感動できるだろうと思わざるを得ません。教室と体育館の違いなど比較にならないでしょうが、やはり本物の歌声はそれを聴くにもっともふさわしい場所で聴くべき。映画自体は楽しめましたが、どこか物足りないなと感じてしまったのは贅沢だとはいえ、正直な感想です。


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