トゥルーマン・ショー

(1998年 / アメリカ)

トゥルーマンは保険会社の平凡なセールスマン。しかし彼は自分の生活が少し変だと思い始めた。もし自分の人生が、実は“演出された作りもの”だったら…

見る側と側と見られる側の優位性は逆転できるか

トゥルーマン・ショー

街中、電車の中、会社の中など、多くの人がいるところに身を置くと、「誰かに見られている」気がする。そうでなくとも、自室でひとりでいたとしても、背後から見つめられている感じがすることがある。こうした感覚のことを「注察妄想」といいますが、さらにその思い込みがエスカレートすると、のぞき見されている、監視されている、尾行されている、盗聴や盗撮されているなどという「追跡妄想」のほうへ発展していきます。「妄想」は精神医学で用いられる症状のひとつで、現実ではない明らかに間違ったことを現実だと強く思い込んでしまう症状のこと。「見られている」という感覚以外に、人の視線が怖い、他人の会話が自分の悪口に聞こえる、人の集まる場所に行けないといった症状が現れるのが特徴です。

こうした症状は、統合失調症の陽性症状であり、幻覚や幻聴を覚えることに起因します。これらはすべて妄想です。だから、治療法としては、その妄想を否定することとなりそうですが、実際は否定も肯定もしない接し方が基本となります。そもそも、酷い妄想に苦しんでいる人に「そんなの気にすんなよ」と言って解決したら、精神科医はこの世に必要なくなります。「誰かに見られている」という感覚はなんの根拠もなく発現するのではなく、心の奥深くにあるトラウマや疚しさから生じます。対処としては、「そんなことない」と否定するでも「うん、そうだね」と肯定するでもなく、「そうなんだ、それは辛いよね」と理解・共感すること。カウンセリングを通じた対面療法に加え、抗精神病薬の服用で、じっくりと改善させていくのが一般的なようです。

この「誰かに見られている」感覚があるなら、「誰かを意図的に見ている」意識というのは存在するのでしょうか。ここで僕が言いたいのは、目の前にいる恋人を見つめるとか、面接官と向き合うとか、そういった意味ではなく、誰かの行動を好奇心を持って面白半分で、ついつい目が向いてしまうこともありうるのかということ。これは誰だってあるはずです。クラスのひょうきん者が次の授業でどんないたずらをするのか、特に目立たない人だけど行動や反応がユニークで何の気になしに見てしまう(なんかいい、という感覚)。これはテレビとラジオの関係に似ている気がします。ラジオが聴覚のみの情報提供であるのに対し、テレビには視覚も加わります。ニュースだったら画面を見ず聞き流しても問題ないですが、バラエティー番組はそうもいかないでしょう。出演者が喋ることだけじゃなく、仕草や表情、服装などの視覚情報を含めて、面白いと感じるからです。だから、お笑いタレントはつねに「誰かに意図的に見られている」わけだし、視聴者は彼らを「意図的に見つめている」のです。

この映画の主人公トゥルーマンは、「誰かに意図的に見られている」存在です。それも、世間から隔絶された巨大セットの中で、誕生してからテレビ画面を通して、ずっと見られ続けています。この「見られている」ことは彼にとってストレスにはならないのか。少なくとも、ある時までは「見られている」ことに気づいていませんでしたが、大学時代の恋人や妻の不可解な行動などを通して、何か引っかかるものを感じていきます。もしかしたら僕の人生は作為的なものなのではないか。これに気づき始めた時、トゥルーマンは町の人たちのことを「意図的に見る」ようになります。いつも挨拶をする隣人、新聞を買うスタンドのおじさん、生命保険を契約させようとしていた双子の男性など、トゥルーマンは意図的に彼らを注視し始め、その先に、トゥルーマンからしたら「誰かに見られている」対象(トゥルーマンショー視聴者)の存在に気づきだします。

トゥルーマンショーという番組を運営していく中で、最も気を使ったことが、トゥルーマンに「誰かに見られている」という感覚を持たせないことだったと思います。それは、「見せる」側であるテレビ番組制作者にとっての至上命題とも言えましょうが、ある瞬間まではうまくいっていた。「誰かに見られている」と「誰かを意図的に見ている」がうまいこと自然な調和を保っていた。それが崩れたらパニックに陥るのは当然であり、トゥルーマンを止めることはできなくなったわけです。

誰かに見られている、誰かがコソコソ噂話をしている、誰かに笑われている。実際問題として、このシチュエーションではひとりしかいません。見てる人、噂話をしている人、笑っている人はいません。すべて個人の妄想(注察妄想)です。この症状を専門的に治療することは精神科医に任せるとしますが、もしかして本当に見たり話したり笑ったりする人がいるロールプレイをしたら、解決の糸口が増えるのではないかと感じました。見てる人に「こっち見んな」、話してる人に「うるさいぞ」、笑ってる人に「何笑ってんだよ」と反発することで、ストレスは軽減されるのではないだろうか。いや、ただの思いつきです。似たような症状で悩む僕が、こんな感じだったら少しは心が晴れるのではという思いつきです。でも、ラストのトゥルーマンの笑顔を見れば、あながち間違ってないかもという気にはしないでもありません。


閲覧ありがとうございます。クリックしていただけると励みになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です