靴職人と魔法のミシン

(2014年 / アメリカ)

ニューヨークの下町で代々続く小さな靴修理店を営むマックスは、単調な毎日をはてしなくリピートするように生きてきた中年男。ある日、愛用のミシンが故障し、先祖伝来の旧式ミシンで仕上げた靴を試し履きすると、自分とは似ても似つかぬその靴の持ち主に変身していた。

靴は人格そのもの

靴職人と魔法のミシン

僕はこれまでずっと職場が服装自由だということもあり、普段でも仕事に行くのも服装はカジュアルです(適当という意味のカジュアル)。したがって、靴はそれに合わせる形で、カジュアルな定番系のスニーカー。履くたびに靴紐を結くのが好きでないので、靴べらをかませるだけで履けるものに限ります。スニーカーといってもいろいろありますが、コンバースやオールスターのは持っておらずニューバランスオンリーです。メーカーが好きとかデザインのファンだとかいうことは特にないのですが、やはり履きやすいからというのが一番の理由でしょうか。いつだったか風のうわさで、ニューバランスはもともと足の悪い人のために設計されているということを耳にしたことがありますが、僕自身、片足にハンデをもっているため妙に納得した記憶があります。というわけで、僕はどこに行くにもスニーカー。リクルート用の革靴を別にすれば、うちの靴箱にスニーカー以外ありません。そんな中、とある格言を知りました。イタリアの格言だそうですが、「履いている靴は、その人の人格そのものを表すものである」と。

そのこころは、「おしゃれは足元から」という言葉があるように、靴はその人の性質やこだわりが見えやすいところだからとのこと。あまり目立たない部分だからこそ、その人のことが浮き彫りになるということですね。では例を見ていくと、まずいつもピカピカの靴を履いている人。この人は完璧主義者で仕事ができるのですが、小さなミスでも大きく落ち込んでしまうという意外と脆い面もあるそうです。で、ハイヒールを好む人は、自己顕示欲が強く存在感をアピールしたいという欲求が強い人。さらに、黒の皮底のヒモ靴を履く人はプライドが高い人、がっちりと足を包むタイプの靴を履く人は自己防衛意識の強い人、個性的なデザインの靴を好む人は落ち着いていてインドア傾向にある人だそうです。ところで、僕みたいなスニーカーを好む人は、フットワークが軽く人当たりのよい社交的な人とのこと。いや、ぜんぜん当たってないですね。普通のビジネスシューズばかり履いている、靴に金をかけたくない単なるケチのほうが当てはまるような。

実際、当たっているいないはあると思いますが、やはり見てる人は見ているようで、初対面の場合まずその人が履いている靴を見るといいます。特に、ビジネスの場のほか、高級ホテルや料亭などエグゼクティブが集まる場所では、そこの従業員はその人が履いている靴を見てどういうふうに接すればよいかの判断材料にするのだとか。こうしたことを、値踏みするとか足元を見るとか表現され、あまりいい意味にはとらえられませんが、社会人になるとどうしても他人の足元を見てしまうのは仕方のないこと。少なくとも、客先や交渉の場に汚れた靴で臨むことだけは避けなければなりません。さて、この映画は、靴職人のマックスが、客から預かった靴を店に伝わるミシンで修理すると、その靴を履くことで持ち主そっくりに変身できてしまうという話。いろいろイタズラをしているうちに思わぬ騒動に巻き込まれてしまうのですが、姿形は持ち主そっくりでも性格だけはもとのまま。つまり、人格は入れ替わらないのです。だから結局、人がその人に合った靴を無意識に選んでいるのであり、靴が人を表すではない。ストーリーは重くないけど、示唆的な作品だったと思います。


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