ユナイテッド93

(2006年 / アメリカ)

2001年9月11日、ニューアーク国際空港発サンフランシスコ国際空港行き「ユナイテッド93便」はテロリストに占拠され、他機での自爆テロを知った乗客達はテロリストに立ち向かうことを決断する。

絶体絶命の状況下で勇気を与えてくれる力

ユナイテッド93

ニューヨークの9/11メモリアルに隣接したミュージアムで、僕はある展示物に釘付けとなっていました。2001年9月11日、世界貿易センタービルの南棟に突入したユナイテッド航空175便に乗っていた乗客が、テロリストに乗っ取られた機内から家族に伝えた通話の記録です。「僕が乗った飛行機がハイジャックされた。何かあった時のために伝えておくよ。僕は君を愛している。君には何事もないことを祈るよ。僕の両親と同様にね。僕は君に誰よりも君を愛しているってことを伝えたかっただけなんだ。それじゃあ、また電話するね」。大意はこのような感じでした。愛する人に優しく語りかけている一方で、この絶望的な状況を打開することができないことを悟り、死を覚悟した悲壮感が直に伝わってきて胸が一杯になってしまいました。普段はあまり情に流されることはない僕でも、この英文が印字されたプレートを見た時は、目頭が熱くなり鼻汁をずるずるさせてしまったものでした。メッセージの最後で「また電話するね(hope I will call you)」とありますが、この思いはかなえられなかったことでしょう。そう考えてしまうと、さらに一層胸が締め付けられそうになってしまったのです。おそらく、ハイジャックされた機内にいた乗客たちのほとんどが、同じようにして大切な人へ最後の思いを伝えていたことと思います。

9.11のアメリカ同時多発テロで、テロリストにハイジャックされた航空機は全部で4機。前述のユナイテッド航空175便(世界貿易センタービルの南棟に突入)のほか、アメリカン航空11便(世界貿易センタービルの北棟に突入)、アメリカン航空77便(アメリカ国防総省に激突)、そしてユナイテッド航空93便(ペンシルベニア州シャンクスヴィルに墜落。以後、UA93便)です。この映画では、最後に紹介したUA93便の運命が描かれています。他の3機がアメリカ中心部の主要な建物に突っ込んだのに対し、UA93便だけが人気のない林の中に墜落したのは、機内の乗客や乗務員たちが抵抗したことによることが、家族に宛てた通話の記録や遺されたボイスレコーダーなどから判明しています。この事故により乗客乗員44人(テロリスト4人を含む)全員が死亡。本来のターゲットはホワイトハウスだったということですが、その暴挙を勇敢な一般市民が命を懸けて阻止したのです。乗客たちが行動に移す前の「Let’s roll!(やってやろうぜ!)」はその後の対テロ戦争のスローガンとなったとのことです。しかし、このUA93便の墜落の経緯については不可解な点も多く、墜落現場の状況などから、実は軍の戦闘機が撃墜し墜落を偽装したなどの説が流布しています。真相はわかりませんが、乗客たちの勇気ある行動がテロリストの目的を挫いたことは事実。そのために払われた犠牲はあまりに尊いという他ありません。

事件発生当時、僕はテレビに釘付けになっていた記憶があります。夜中の12時を過ぎ、普段であれば寝床についている時間ではありましたが、世界的緊急事態が起きたという興奮で眠気などまったく感じず、明け方まで状況を見守っていました。テレビの画面からは、続々と速報が伝えられ、死者・負傷者の数が瞬く間に増えていきます。文字通り、背筋が凍りつきました。僕が生まれてから物心ついた頃からリアルタイムで記憶している戦争といえば、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、ユーゴ紛争などでしたが、この9.11のテロはそれ以上のインパクトを持って僕を激しく揺さぶりました。その夜は興奮で眠れないというより、恐怖で眠るどころではなかったというのが正しいかもしれません。なぜなら、軍と軍との争いで軍人が死傷していくのではなく、正体不明の敵からの攻撃で一般市民が次々と死んでいっているのです。僕らが住む日本は地震などの自然災害でこれまで数えきれないほどの犠牲者を出していますが、9.11は違うのです。人が人に対し天罰を与えるという理不尽さでは戦争も同じですが、テロに宣戦布告はありません。軍籍を持たない一般人がまったく無防備な状態のまま、まったく無関係であるにもかかわらず、あのような大惨事に巻き込まれてしまうのです。

世界中に敵がいるアメリカだから標的になったという分析はある意味正しいです。では、世界に貢献している日本は安全かというと、そんなことはあるはずがない。テロの目的のひとつとして、ターゲットを選ばず結果をメッセージとして知らしめることがあります。誘拐犯、通り魔、放火魔などがそうです。彼らは決して姿を見せず、人を恐怖に陥れることで譲歩を引き出します。誰だって僕だって、テロ犯罪に巻き込まれる可能性はあるし、実際に何人もの無関係の人が事件に巻き込まれている。その時、僕はテロリストに勇敢に立ち向かえるだろうか。何を後ろ盾として、何を精神的支柱として、恐怖に立ち向かうことができるだろうか。その答えのひとつが、絶対的な危機に陥った時、死を覚悟しなければならない状態に陥った時、「愛してる」と伝えたい誰かがいるかどうかなのではないでしょうか。


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